IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

契約不成立と契約締結上の過失(2) 東京地判平20.9.30

前回に引き続き,システム開発の契約書取り交わし前に作業着手した場合のベンダからユーザに対する請求の事案を取り上げます。

事案の概要

自動車販売業のXは,システム開発業のYに,ウェブシステムの制作及びSEO対策を委託しようと考え,商談を進めていきました。何度かやり取りが行われ,ユーザXは,ベンダYに対して,契約書案を提出するなどし,正式に契約を締結する日程の調整も行われました。


しかし,契約締結予定日の5日前になって,ユーザYのグループ企業に,システム開発技術を有する者を中途採用したことから,内製が可能になり,ユーザYは,ベンダXに対して,交渉を白紙に戻す旨の連絡をしました。


そこで,ベンダXは,ユーザYに対し,出来高作業分の費用,逸失利益等の賠償合計約760万円の支払いを求めて訴えを提起しました。

ここで取り上げる争点

東京地裁平成20年7月29日判決と同様に,(1)開発契約は成立していたのか,(2)成立していなかったとしても,契約締結上の過失の法理に基づいて,ユーザYに契約締結上の過失が認められるか,という点が争点となりました。

裁判所の判断

(契約成否に関して)


裁判所は,

  • ユーザYの担当者は,交渉の窓口に過ぎず,上層部の決裁が必要であり,そのことは両者間の前提となっていたこと
  • 契約書の案文について,文言の修正作業が行われていて,確定していなかったこと


を理由に,システム開発契約が成立していたとは認められないとしました。


(契約締結上の過失に関して)


続いて裁判所は,注意義務違反については,

  • ユーザYはベンダXに希望納期を伝えたが,契約締結が確実であるとして,正式な契約書を作成する前に作業を行うことを求めたわけではないこと
  • 契約の締結には上層部の決裁が必要である旨の説明を行っていること
  • ユーザYは,上層部の感触は悪くないと述べたが,それ以上に契約の締結が確実であると過大な期待を抱かせたものとはいえないこと

を理由に,契約締結上の過失も認めず,ベンダXの請求をすべて棄却しました。

若干のコメント


本件の場合,契約書案の文言修正などのやり取り中であったことから,契約が成立した,と認められる余地はほぼなかったと考えられます。さらに,東京地裁平成20年7月29日判決の事案と異なり,ベンダは具体的な作業をほとんど実施しておらず(制作にかかった費用は85万円で,損害賠償の内訳のほとんどは逸失利益の622万円でした),契約締結に向けた期待を著しく害される,という事情もありません。


確かに,ユーザには,契約締結予定日を決めた後に,内製化に切り替えた,という事情があり,ベンダに対して仁義を欠くような事情も見受けられますが,この点のみをとらえて損害賠償責任を認められませんでした。