IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

月180時間を超えた場合のみ割増賃金を支払う旨の合意 最判平24.3.8(平成21(受)1186)

基本給を月額で定めた上で月間総労働時間が一定の時間を超える場合に時間当たり一定額を別途支払うなどの約定のある雇用契約の下において,各月の上記一定の時間以内の労働時間中の時間外労働についても,使用者が基本給とは別に割増賃金の支払義務を負うとされた事例

事案の概要

手元には最高裁の判決文しかないので,会社,従業員の属性等は不明だが,Y社の契約社員Xが,Yに対し,残業代等を請求した事件。


Xの雇用契約には,月額41万円の基本給とした上で,月間総労働時間が180時間を超えた場合は,1時間当たり2560円を支払い,140時間に満たないときは,1時間当たり2920円を控除するという約定があった。


原審(東京高判平21.3.25)は,上記雇用契約について,月180時間を超えない時間外労働に対する時間外手当の請求は棄却した。その理由の骨子は,月額41万円という基本給は比較的高額であるから,月間180時間までの時間外労働に対する割増賃金はそこに実質的には含まれている,というものであった。

裁判所の判断

しかし,最高裁は,基本給の41万円には,通常の労働時間に対する賃金と,割増賃金との区別はできず,月間総労働時間180時間までの時間外労働に対する賃金は含まれていないとした。


その骨子部分を引用する。

・・月額41万円の基本給について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と(労働基準法37条1項)の規定する時間外の割増賃金に当たる部分とを判別することはできないものというべきである。

これらによれば,上告人が時間外労働をした場合に,月額41万円の基本給の支払を受けたとしても,その支払によって,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働について労働基準法37条1項の規定する割増賃金が支払われたとすることはできないというべきであり,被上告人は,上告人に対し,月間180時間を超える労働時間中の時間外労働のみならず,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働についても,月額41万円の基本給とは別に,同項の規定する割増賃金を支払う義務を負うものと解するのが相当である(最高裁平成3年(オ)第63号同6年6月13日第二小法廷判決・裁判集民事172号673頁参照)。


とした上で,労働基準法の定める労働時間(32条)を超えて就労した時間に対する割増賃金を計算するよう,原審に差し戻した。

補足意見

この判決には,櫻井龍子裁判官の補足意見がついている。その論旨は非常にわかりやすい。以下,要約する。


労働基準法37条は,原則1日8時間,週40時間を超えて働いた労働者に割増賃金を支払う義務を定めており,これに違反すると刑罰が科せられる。そのため,罰則適用の判断のため,時間外労働の時間,残業手当が明確でなければならない。本件では,割増賃金に相当する賃金とそうでない賃金との区別がなされていない。


例外的に時間外手当の支給対象とならない労働時間制は,フレックスタイム制裁量労働制などもあるが,いずれも要件,手続が厳格に定められており,本件はそれのいずれにも当たらない。


そして,最後に,

近年,雇用形態・就業形態の多様化あるいは産業経済の国際化等が進む中で,労働時間規制の多様化,柔軟化の要請が強くなってきていることは事実であるが,このような要請に対しては,長時間残業がいまだ多くの事業場で見られ,その健康に及ぼす影響が懸念されている現実や,いわゆるサービス残業,不払残業の問題への対処など,残業をめぐる種々の状況も踏まえ,今後立法政策として議論され,対応されていくべきものと思われる。

と,締めくくっている。

若干のコメント

IT業界では,時間外労働が常態化いる一方で,労働者に対して十分な時間外割増賃金が支払われていないという実態があります。会社側も,残業を禁止したり,働いただけの残業手当を支払っていたのでは,厳しい競争の中で生き残れない,という事情もあります。


これまでも,基本給に一定時間の残業手当が含まれるような約定をしたケースは多いですが,過去の裁判例では,割増賃金相当部分と,それ以外の賃金とを明確に区別することを要求してきました(最判平6.6.13労判653-12)。年俸制についても,時間外割増賃金が自動的に含まれることにはならず,含むとしても明確に区別し,それを超える時間を労働した場合には,割増賃金支払い義務が生じます(大阪地判平14.5.17労判828-14)。


また,上流工程を担当するエンジニアを中心に,裁量労働制の導入も進みましたが,現実に「裁量」のないSEに対する裁量労働制の適用を否定した事例もあります。
http://d.hatena.ne.jp/redips+law/20111202/1327154967


以上のとおり,会社側としては対応に苦慮するところではありますが,少なくともあいまいに「この給与には,残業代を含むから」などとざっくりした決め方は許されないことは,本最高裁判決から明らかになりました。


(追記)
ちなみに,本件では180時間を超えると1時間当たり2560円を支払うとなっていたが,これは,41万円を160時間で割って単価を算出していたと思われます。しかし,時間外割増賃金は,「通常の労働時間の賃金の計算額の25%以上の範囲内で計算」することを求められており(労働基準法37条1項。深夜,休日については,さらに異なる割増率が適用される。),180時間を超える部分についても,この金額では不足することになります。