IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

基本設計締結後の作業中止に対する損害賠償の成否 東京地判平19.1.31(平15ワ8853)

基本契約締結後に個別契約を締結することなく作業を開始し,ユーザから中止を言い渡された場合において,ベンダから損害賠償(ないし報酬)請求を行った事例。

事案の概要

ユーザYが,ベンダXに対し,クレジットシステムの開発を委託したが,見積金額について合意に至らず,作業の中止を求めたために,Xから損害賠償(ないし報酬)を請求したという事案。


少々細かく事実経過を見てみると次のとおりである。

平成14.7.3 XYの担当者が商談開始
14.10.1 XY間で基本契約と守秘義務契約締結。まもなく要件定義作業に着手(合計13回の打ち合わせ)
14.11.27 X→Yに初回の見積提示(金額8200万円)
14.12.4 X→Yに2回目の見積提示(金額23800万円)
15.1.17 X→Yに3回目の見積提示(金額16000万円)
15.1.23以降 4から8回目の見積提示(最終的な見積額は10000万円)
15.2.17 Y→Xに作業中止の依頼メール
15.3.12 X→Yに既作業分735万円請求

上記のように,合計8回の見積提示に加え,XY間での打ち合わせが13回行われていた。しかし,上記の基本契約と守秘義務契約のほかは,書面による契約は締結されていなかった。


なお,基本契約には,次の趣旨の規定があった。

  • 基本契約に基づく個別契約は代表者の記名捺印ある書面によってのみ,なし得る
  • 個別契約はYから注文書をXに交付し,Xが注文請書をYに交付することによって成立する

ここで取り上げる争点

  • 請負契約の成否
  • 準委任契約の成否

Xは,主位的には上記基本契約に基づく請負契約が成立したと主張し,予備的に,仮に請負契約が成立していなくとも,要件定義等の準委任契約が成立していたと主張していた。

  • 損害または報酬の額

裁判所の判断

まず,請負契約の成否については,上記の基本契約の条項をひいて,

XとYの間で,本件基本契約の定める個別契約に係る注文書及び注文請書並びにこれに類する書面は交付されておらず,Xから,Yあてに,見積書が8回にわたり提出されたものの,最終の8回目の見積書の見積額1億円についても,Yからは,その見積額で契約金額を確定させる旨の回答がなく,XY間で個別契約の契約金額の合意もできていなかったものであって,その後,Yからは,すべての作業をストップするようにとの要請があり,結局,Xに対する発注を行わない旨の通知があったものである。
以上によれば,本件基本契約に基づく個別契約としての本件請負契約がXY間で成立したものとは到底認めることができない。

とし,Xによる口頭の請負契約の成立の主張については,

C部長(Y社)から本格作業に入ってもらいたいと言われ,Xがこれを了承して,要件定義作業や概要設計作業に入ったからといって,これにより本件基本契約に基づく個別契約としての本件請負契約が成立したことが裏付けられるものということはできない。

と,あくまで基本契約書の文言に忠実な判断を示した。


しかし,準委任契約の成立については,Xの担当者がY社にて13回の打ち合わせに出席し,請負契約の見積を行った担当者とは別の担当者が,機能概要を取りまとめたりするなどの要件定義作業を行っていたことから,

Xの実作業担当者は,H部長やC部長の発言を受けて,3か月以上にわたって,被告の担当者と要件定義作業や概要設計作業に関しての打合せを重ねて,これら実作業を行っていったものであって,C部長の発言があった平成14年10月21日の時点で,XとYの間で,Yのクレジットシステム開発の要件定義書及び概要設計書の作成のための作業を行うことを内容とする本件準委任契約が口頭により成立したものと認めるのが相当である。

と,準委任契約の成立を認めた。


続いて,準委任契約に基づく報酬の額については,調停期日調書における調停委員の意見から,

  • Yのために費やしたXの従業員の作業・打合せ時間の3割が報酬額の算定の基礎とすべき
  • Xの作業者1日当たりの報酬は4万円とすべき

とし(その根拠は不明),3か月間の合計時間約1300時間の3割×5000円/時として,約200万円と関連する交通費の報酬を認めた。


しかし,Xから再委託した協力会社Zからの請求額約230万円については,基本契約において再委託には発注者(Y)の書面による事前承諾が必要とされていたにもかかわらず,特に承諾があったことは認められないとして,報酬算定の基礎とすることはできないとした。

若干のコメント

マイナーな事件ではありますが,いろいろと実務上起こりがちな問題が含まれています。


ひとつは,基本契約のみ締結して,全体額の見積もりの調整をしている間に,金額が折り合わず中止となった場合の報酬請求の件。基本契約には,発注書の取り交わしによって個別契約が成立すると明示してあった点をとらえて,請負契約の締結は否定されましたが,実際に相当量の実質的な作業を行っていた点をとらえて,基本契約を外す合意があったとみて,準委任契約が成立していた,と認めました。


これは,ベンダの作業実態に照らして,やや救済的な判断が行われたものと思われますが,やはり明文の規定に反して個別契約の成立を主張するのはリスクがあるので,ベンダとしては書面を取り交わすよう,強く求める必要があるでしょう。


余談ですが,本件で出された8回の見積もりは,初回が8000万円,二回目が約2億4000万円で,最終的に1億円まで戻っています。こうした金額のブレが大きかったことも,ユーザとベンダの間での信頼関係成立に至らなかった理由であることは間違いないでしょう。


もうひとつは,事前同意のない再委託の取り扱いの件。システム開発系の契約では,ほとんどが,再委託は委託者の事前の書面による同意が必要だとされています*1。本件では,ベンダが同意を得ることなく協力会社を使っていた費用については,報酬に加算することができませんでした(結局,この事例で認められた報酬額は200万程度であり,協力会社からの請求額にも満たなかったことになります。)。


最初の論点では基本契約の枠外としながらも,再委託の取り扱いについては,基本契約の条文をひいてきたことに違和感があるかもしれませんが,もともと準委任契約は,人的信頼を前提とするものであるので,再委託には委託者の同意が必要だとされているので(参考:民法104条),この判断はやむを得ないでしょう。


しかし,実務では再委託の事前同意は,しっかりと運用されていません。にもかかわらず,最近では,情報管理,漏えいの問題があり,ユーザも,名前や会社のわからない人を自社の業務にかかわらせることを避けたいと考えています。事前同意なくして再委託することは,こうしたリスクがあるだけでなく,場合により契約解除事由にもなるため,ユーザの確認をしっかり取っておく必要があります。

*1:経産省のモデル契約では,両案併記されています。