IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

契約締結上の過失 東京地判平24.4.16(平21ワ18514号)

正式な契約締結前に中止されたとして,契約締結上の過失に基づいてベンダが損害賠償請求した事例。

事案の概要

健康教育・疾病予防等の事業を行う財団法人Yは,新健診システム・生涯健康データベースシステム(本件システム)を開発する業者選定のためにRFPを提示し,開発ベンダXは,これに応じて平成19年3月15日までに提案書を提示した。


ただし,この段階のRFPと提案書は,裁判所が認定した事実関係によれば次のようなレベルだった。

Xは,技術提案書において,NTT−ITが開発した総合健康管理システムのパッケージソフトである「HELSMEK」を利用し,これをYの要求する仕様にカスタマイズすることによって本件システムを構築するという技術提案を行った。もっとも,YがY仕様書をもって公募の際に提示した本件システムの機能要求仕様は,具体性に乏しい点が少なからず存在し,詳細な仕様は,受注業者との機能打合せ時に明らかにすることとされていたため,Xの技術提案の内容もこれに対応して具体性を欠く点があった。また,技術提案書には,技術提案応募要領に従って見積書も添付されており,ソフトウェア,ハードウェア等のイニシャルコストの見積金額は合計1億6205万円であり,導入後5年間のランニングコストの見積金額は9300万円であるとされていたが,この見積書も概算を見積ったものであった。

Yは業者としてXを選定し,4月3日にその旨を通知し,以後,4月9日を皮切りに,4月,5月で合計6回の仕様の打ち合わせが行われた。もっとも,正式な発注はなく,業務委託契約は締結されないまま,Yが6月頃にあらためて見積書を要求し,Xが提出したところ,減額を求められた。


結局,見積金額の合意が得られないまま協議が整わず,YからXに対して9月27日に契約を締結しない旨の通知がなされたことから,Xは契約締結上の過失に基づいて,約8800万円の損害賠償を求めた。

ここで取り上げる争点

(1)Yによる契約締結の拒絶は,契約締結上の過失と評価できるか。

(2)上記(1)が認められた場合におけるXの損害額。

(3)過失相殺の可否と割合

裁判所の判断

争点(1)契約締結上の過失の成否について


契約締結に至らなかった直接的な理由は,Xが作業開始後に提示した見積の金額についてYの同意を得られなかったというところにあるが,Xが提示した金額に関する事実経過は,次のようなものであった(すべて平成19年)。

  • 3月15日 X→Y提案書 イニシャルコスト1億6205万円
  • 4月3日 Y→X 「貴社(Xを指す。)を『当事業団新健診システム構築事業者』と決定致しましたので,通知いたします。」との通知
  • 4月,5月 X・Y仕様の打ち合わせ
  • 5月23日,6月21日 X→Y見積書 イニシャルコスト1億3605万円(この間の変更は,Yの依頼によって対象外とされたシステムに係る費用)
  • 6月27日 X→Y 正式発注がない場合には作業中断する旨の通知
  • 7月3日 Y→X 正式発注はすぐに出せないが作業は続けてほしいと要請
  • 7月4日 Y→X 減額の要求
  • 7月23日 X→Y 再度の正式契約締結を要請する書面通知
  • 8月23日 X・Y協議もの別れ
  • 9月27日 Y→X 業務委託契約を締結しない旨の書面通知


これらの事実認定を踏まえ,裁判所は次のようにYには信義則上の配慮義務があるとした。

以上の事実関係を総合勘案すると,Yは,Xを本件システムの構築事業者に選定した後,Xとの間で本件システムの構築に向けた作業を進める過程において,Xに対して見積書の見積内容に対する疑問や見積金額に対する不満を伝えたことはなかったにもかかわらず,同年6月下旬以降,契約締結を躊躇する姿勢を示すようになり,同年7月4日になって,Xに対し,一方的に,見積内容に疑問があり,見積金額を減額すべきである旨を主張し,結局,同年9月27日に見積金額の合意が成立する見込みがないとして契約締結を拒絶するに至ったのである。そうすると,Xとしては,同年6月下旬までは,技術提案応募要領に記載されたとおり,選定された構築事業者として見積書記載の見積金額でYとの間で本件業務委託契約が締結されるものと信頼して本件システムの構築に向けた具体的作業を行っていたことは明らかであり,上記の経緯に照らし,Xがそのような信頼を抱いたことについては相当の理由があるというべきである。したがって,Yは,信義則上,Xに対し,上記の信頼を裏切って損害を被らせることのないよう配慮すべき義務を負っていたものである。

そして,Yによる契約締結拒絶は不法行為を構成することを認めた。

Yは,同年4月以降,同年7月4日の打合せに至るまでの間,XがYとの打合せに基づいて本件システムの構築に向けた仕様の確定等の具体的作業を行っており,それに必要な費用を支出していることを認識しながら,Xの提出した見積書の見積内容や見積金額に疑問や不満を述べることもなく,これらの作業に協力しており,それにもかかわらず,見積金額の合意成立の見込みがないことを理由として本件業務委託契約の締結を拒絶するに至ったのであるから,そのようなYの対応は,上記のような信頼を抱いていたXとの関係においては,信義則上の義務に違反したものと認めるのが相当であり,Yは,本件業務委託契約の締結を信頼したためにXが支出した費用等の損害について不法行為による賠償責任を負うというべきである。


争点(2)Xの損害額について


協力会社AとBに対して支払った業務委託料については,Yによる「過大だ」「外注を使うことは承知していない」といった反論を退けて,その合計額約5800万円についてXに生じた損害だとした。


他方,Xが支払ったハードウェア代金については,その発注時期が7月9日で,すでに発注金額について紛糾していた時期であったことを捉え,「この購入契約に基づいて支払った購入代金は,Xが本件業務委託契約の締結を信頼したために被った損害ということはできず」として,損害に含まれなかった。


また,協力会社Cに対して支払った業務委託料についても,上記ハードウェア代金と同様の理由により損害に含まれなかった。


さらに,Xの社内経費として,Xの計算書類における販管費と売上原価の比率から,売上原価に計上されるべき上記協力会社への委託費用5800万円の12%相当である約700万円について本件システム構築にかかる社内経費であると認定した(実態として,Xは自らのエンジニアを現場作業に多数従事させるという形態ではなく,各業者に委託するという形態をとっていたようである)。


以上の合計額である約6500万円についてXの損害であるとした。


争点(3)過失相殺について


裁判所はXについて,一切の非がないとは言わなかった。

Xは,Y仕様書において本件システム構築の発注時期が平成19年3月下旬とされていたにもかかわらず,同年4月以降,Yからの正式な発注がないまま本件システムの構築に向けた具体的作業を進めているところ,Xにおいても,信義則上,Yに対して,適時に正式な発注を促し,Yがこれを拒む場合には,その理由を問い質して,障害となっている事情の除去に努めるなどして,損害の発生,拡大を防ぐために適切な対応を取ることが期待されていたというべきである。


Xは,正式な発注を促さなかった点に落ち度があるとして,2割の過失相殺を認め,Yに対し,上記(2)の8割である約5200万円の賠償を命じた。

若干のコメント

通常,この種の事案では主位的に契約成立を前提に,注文者による解除による損害賠償(民法641条)を求め,予備的に契約が成立していないとしても注文者は契約締結上の過失による責任を負う,といった主張構造になります。後者の場合,本件のような過失相殺があるため,請求者にとって不利だからです。本件でも,Xの提案(申込)に対し,Yが業者の指名(承諾)をしたことから,契約成立が認められうるケースであったと思います。しかし,本件では,互いに契約が成立していないことを前提として行動していたため,契約成立を前提とする主張はしにくかったのでしょう。


裁判所が認定した事実関係からは,Yに責任があるというのも当然であるように思いますが,結局,Xが支出したハードウェア代金や,一部の協力会社に対する委託費用は損害に含められず,損害拡大防止に関する責任もあるとして2割の責任ありとされましたから,「勝訴」の部類に含められるとしても,Xが大きな損失を被ったことには違いありません。


Xとしては,Yとの交渉過程が遅れたとしても,納期遵守のプレッシャーはあったと思われるため,ある程度先行して作業したり発注したりしなければならなかったことが予想されます。それらの費用が,損害と認められなかったのは少々酷だったかもしれません。このような事態を避けるためには,ベンダは,第三者に発注するごとに逐一ユーザの同意(積極的な同意とまではいかなくとも,黙認程度でも)を得ておくべきでしょう。


もちろん,ユーザもベンダ選定を終えたのちに減額交渉するといった後出しじゃんけん的なことは避け,正式な契約締結には時間がかかる場合には,その理由と見込みの時期も含めてベンダに通知する必要があったでしょう。また,ベンダ選定の中で絞り込んだだけ,という状態にすぎない場合には,「交渉相手を貴社のみに絞りました」という通知にとどめるべきだといえます。


もう一点,Xの社内コストも一部とはいえ認められた点は大きいです。原価率との比から損害額を算出するロジックは「?」なところもあるのですが,理論的には契約締結上の過失が信頼利益しか賠償範囲に含まれず,履行利益は含まれないということからすると,販管費相当額であっても信頼利益に含まれるのでしょう。ただし,Xの事業形態が,協力会社に依存する形態であったことからすると,この部分は,あまり一般化できないかもしれません。