契約締結前に作業したものの,締結に至らなかった場合の責任の所在と,作業分の報酬について争われた事例。
事案の概要
スポーツ施設運営業Xがソフトウェア開発業Yに対し,会計システム開発の契約交渉中に,Yの責めに帰すべき事由により契約交渉を解消せざるを得なくなったとして,契約締結上の過失に基づいて約228万円の損害賠償を求めた(本訴)。
他方Yは,契約解消はXの責めに帰すべき事由によるものであるとして,不法行為に基づいて約892万円の損害賠償を求めた(選択的に商512条に基づく報酬請求権等として同様の請求をしている。)。
ここで取り上げる争点
(1)Yに契約締結上の過失による信義則上の損害賠償責任はあるか。
(2)Xに契約締結上の過失による信義則上の損害賠償責任はあるか。
(3)その損額の額
(4)Yの商512条に基づく報酬請求権はあるか。
裁判所の判断
裁判所が認定した主な事実は次のとおりである。
- 平成17年9月30日にXは会計システム導入のための説明会を開始し,Yの親会社がこれに参加した。その際,平成18年4月1日の運用開始が要件として説明された。
- 説明会に参加したY以外の二社は平成18年4月1日の納期は遅れると回答したが,YはXの現行システムに関わっていた業者との共同開発であれば可能だと回答した。
- Yは,開発代金6800万円,月額保守費用80万円とする見積書を提示した。
- Yは,取引基本契約書,請負契約書の案文を送付した。
- Yは,同年11月7日,要件も定まっておらず納期も厳しいことから,要件定義が完了した段階で請負契約を締結し,スケジュール管理もYが行うという提案をし,Xはこれを了承した。
- XとYは,同日より全体設計と要件定義作業を開始した。
- 同年12月中旬には画面イメージはある程度できあがっていた。
- 作業に遅れがみられたことから,同年12月13日にXの担当者は,Yの担当者に全体の納期に影響はないか確認したところ,Yは問題ないと回答した。
- Yは,平成18年1月17日,Xに対し,「新会計システム納期猶予の依頼状」と題する書面を提出し,4月1日からの運用開始は不可能であるとして3カ月後らせる旨の提案をした。
- この段階で,要件定義はほぼ終了していたが,帳票,データベース設計書はできていなかった。
- Xは,同年2月16日,上記申入れは,信頼関係を著しく破壊するとして,Yとは契約を締結しない旨を通知した。
争点(1)(3)について,裁判所は次のように述べた。
コンピューターソフトの開発制作において,発注者からの要件定義についての要求事項が増えたりすることは一般的にあることであり,これにより,開発制作がスケジュールに間に合わない場合には,開発者側で担当技術者を増やしたり,また,発注者と協議して,要求事項の削減を求めるなどして調整を図るのが一般的である。
契約の成否については争点となっていないが,両者の基本的な義務を次のように認めた。
Xは,平成18年4月1日を運用開始とする会計システムを開発しこれを導入することを計画し,平成17年10月25日,Yとの間で,新会計システムの請負金額を6800万円として,平成18年4月1日の運用開始を前提とした作業日程及び中間金の支払条件について基本的な合意が成立し,また,同年11月7日,XとYとの間で,要件定義が完了した段階でソフトウェア作成請負契約を締結するという作業手順が合意されたことからすれば,遅くとも平成17年11月7日の時点では,Yは,Xに対し,信義則上,新会計システムが平成18年4月1日に運用開始できるように,新会計システムの要件定義作業を速やかに進めるなどして,ソフトウェア作成請負契約の締結に向けた準備作業を誠実に行うべき義務を負担したものというべきである。
その後,3カ月の猶予をYから申し出ることになった点については,
Yは,コンピューターのソフトウェアの企画,設計,開発等を主たる目的とする会社であって,開発のスケジュールの管理を行っていたにもかかわらず,同年1月17日に至るまで,納期を守るために,発注者側であるXに対して要求事項の削減を求めるなどして調整を図るなどし,また,Xとの間の打ち合わせの頻度を増やしたり,作業の効率を向上させるための具体的方策を講じるなどした形跡がないことからすれば,Yは,Xに対し,上記信義則上の義務に違反したものと認められるから,Yは,Xに対し,信義則上,Yとの新会計システムの開発についての契約交渉に要した費用等の信頼利益にかかる損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
と,Yの信義則違反を認めた。さらに,Yは,契約未締結の段階でそのような義務を負うことはないと主張したが,
XとYとは,平成17年11月上旬から,平成18年4月1日に運用開始される新会計システムに係る契約の締結を前提として,全体設計と要件定義を確定する作業を開始したことからすれば,XがYに対し,発注書を交付しなかったことをもって,Xにおいて,Yに対し,平成18年4月1日に新会計システムの運用を開始できるという期待をすることが不合理であるとか,Yにおいて,新会計システムが平成18年4月1日に運用開始できるように要件定義等の作業を誠実に行うべき義務を負わないものということはできない。
と,ベンダであるYに厳しい認定をしている。
さらにYは,遅延の責任はYではなく,Xにあるとしたが,
Xは,発注者であり,コンピューターのソフトウェアの開発等を業とするものではないのであるから,納期に向けたスケジュール管理を行うYにおいて,納期を守るために,Xに対し,要求事項の削減を求めたりして調整を図るなどしたり,また,打ち合わせの頻度を増やしたり,作業の効率を向上させるために代表者であるBだけでなく,Yの他の技術者にも打ち合わせへ出席させるなど納期を守るための具体的な方策を講じるべきであるにもかかわらず,これらの具体的な方策がとられた形跡がないことからすれば,Xの要求事項が増加等したことをもって,Yの上記注意義務違反の責任を免れさせるものということはできない。
納期遵守のための方策をとった形跡がないとして,Yの義務は免責されないとした。
続いて,Xの損害である信頼利益については,要件定義に要した作業は無益に帰したとは言えないものの,データベース設計等の作業に要した人件費等であるとして,2名分の人件費約29万円と,宿泊費,交通費の約40万円の合計約69万円と認めた。
争点(2)については,争点(1)で述べたように,Yの側に信義則違反があったということで,Xの損害賠償責任を認めなかった。
争点(4)は,Yによる要件定義,データベース設計作業が行われたことを認めたうえで,
Yは,Xとの間に新会計システムの開発製作に係る請負契約は締結されなかったものの,Xの委託を受けて要件定義を確定し,本件契約を締結するための作業を行ったのであるから,商法512条に基づき相当額の報酬を受けるべき請求権を有するものというべきである。
そして,その報酬額は,当事者の意思,実際に要した費用,行った業務の内容・程度等の諸般の事情を考慮して客観的に合理的な額が算定されるべきであるところ,本件においては,XとYとの間で,平成17年10月25日,請負金額を6800万円(消費税別)とし,このうち全体設計費用200万円,要件定義費用450万円とされていたこと(略),Yの報酬額としては,上記全体設計費用及び要件定義費用の合計額650万円(消費税別)の4分の1に消費税相当額を加算した170万6250円をもって相当とすべきである。
として,作業相当分として約170万円が請求できるとした。
若干のコメント
両当事者間で契約が成立していないということについて争いはなかったようですが,実際には発注書や契約書の取り交わしはなかったものの,かなり具体的な作業まで進行していたことからすると,実質的に契約は成立していたとみてもよいと思われるので,本件を契約締結上の過失の問題として処理することには疑問もあります。
また,契約は成立していないものの,Yには,専門家としてスケジュールが遅延しないようにユーザを誘導するべきであるというプロジェクトマネジメント義務に相当する義務があったとしていることなども,契約が成立していた事案との処理の違いはほとんどないように思います。
本件は,ユーザからの契約締結上の過失に基づく損害賠償請求を一部認めつつ,ベンダからの商512条に基づく報酬請求の一部を認めたという珍しい事案であったと思われます。