IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

契約締結上の過失(肯定)東京高判平21.5.27(平20ネ5384)

原審の判断が覆り,契約締結上の過失が認められた事例。

事案の概要

本件は,東京地判平20.9.30控訴審である。あらためて事案を整理する。


自動車販売業Xは,システム開発業Yにホームページのリニューアル等を委託しようと商談を進めてきた。担当者Cは,Xと交渉を進め,平成19年7月1日にオープンしたいという希望納期を伝えていた。


Xの担当者Aは,7月1日にオープンするには,4月1日には作業を開始したいと伝え,これを受けたCは上層部に3月15日ころ報告した。CはAに対して感触は悪くないと伝えて,契約書の案文の作成を求めた。これに対しAはCに「このたびは,弊社にご依頼をいただける方向で進めていただきありがとうございます。」などと書いたメールが送られ,作業開始日や納期を打ち合わせた。Aは,契約締結が遅れると納期も遅れることを伝えると,Cは,契約締結は間違いないから納期を守ってほしいと伝えた。Xは,3月29日に契約書案を送付した。


一方でYは,フリーのエンジニアDの採用を決めていたが,Dは態度を明らかにしていなかった。結局Dは3月下旬に入社を承諾し,4月13日付けで採用が決まったことから,YはXと契約しないことを決めていた。


ところが,AとCとの間では,契約締結予定日を4月18日とする話し合いが進められていた。4月13日になって,Yは,Xに対して契約締結しないことを通知した。


そこでXは,主位的には請負契約成立後の解除であるとして,民法641条に基づく損害賠償を,予備的に契約締結上の過失に基づく損害賠償として約760万円を請求した。


原審では,いずれの請求も認められないとして棄却されていた。

ここで取り上げる争点

(1)Yにおける契約の準備過程における信義則上の義務違反の有無
(2)Xに生じた損害の額

裁判所の判断

原判決を変更し,予備的請求の一部を認容した。


まず,主位的請求については契約が成立していないことは明らかであるとして退けた。契約交渉過程について,次のように判断している。

すなわち,4月初めの時点で見ると,Yは,むしろ自社でシステム開発をする方向に動いており,Xとの契約締結が確実なものなどとは到底いえないものであったにもかかわらず,Y担当者は,Xをして契約締結が確実なものと誤信させる言動をし,かつ,納期を守るためには4月初めから作業を開始する必要があるためXが4月初めころから作業に入ることを十分認識しながらそれをそのままにしていた,ないしはむしろそれを求めるかのごとき言動をしていたのである。

このようなYの行動は,契約締結に向けて交渉をしていた者としての信義に違反するものといわなければらない。Xが,Yのこのような言動の結果,4月6日ころから作業に入ったことは無理からぬものといえる。契約準備段階における信義則上の注意義務として,Yは,少なくともXが作業に入ることが予想される4月初めの時点において,Xに対し,社内の状況等から契約成立が確実とはいえないことを告げ,Xが納期を守るためあらかじめ作業に入るようなことをさせないようにする注意義務を負っていたというべきである。しかし,Yは,この注意義務を尽くさなかったのである。


4月6日から実施した作業分について,8.0625人日×42000円/人日として33万8625円の損害を認定した。逸失利益の請求は棄却した。


さらにYからの過失相殺の主張については,認めなかった。

若干のコメント

裁判所は,契約締結可能性がほとんどなくなったにもかかわらず,契約締結が確実であると誤信させたことが信義則違反であるとしました。


加藤新太郎編「契約締結上の過失」で本事例が取り上げられています。私が下手なコメントするより適切なので,その中の解説を引用します(遠藤浩太郎判事担当,326頁)。

契約締結に向けた準備段階については,原則として,特段の義務が生じない第1段階,進んで,具体的な商談が始まり,当事者間に契約締結に向けた事情について説明,警告灯の義務が生じる第2段階,さらに進んで,当事者間に正当な理由なく契約交渉を拒否できない誠実交渉義務を生じ,契約を拒否すれば,履行利益についても賠償しなければ第3段階に分かれるとする見解が有力である(略)。

そこで,この観点からみると,本件は,契約書の案文がほぼ固まり,正式に契約書を取り交わして契約を締結する日も決まり,しかも,本件で受注する仕事の納期を守るためには4月以降,工程上の問題で契約に先立って作業を始めねばならないところ,Xは,納期が遅れることを怖れるYの担当者から作業を進めることを求められて作業を始めた経緯があり,これらの経緯からすれば,交渉が破棄されたのは,前記にいう第3段階になってからと認められ,誠実交渉義務を負うYは,履行利益についても賠償責任を負っておかしくないかもしれない。


また,Yの背信性,不当性が強いとして過失相殺はされなかった点も本件の一つの特徴です。認定された事実にほとんど違いがないことに照らし,原審で信義則違反はないとされたこととのギャップは大きいと感じます。