IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

なりすまし行為とアイデンティティ権 大阪地判平28.2.8(平27ワ10086)

他人のSNSアカウントになりすまして書き込みを行った行為について,権利侵害性が問題となった事案。

事案の概要

Xは,SNSにアカウントを有していたところ,何者かがXのアカウントを使用して,Xの顔写真を用いて「みなさん,わたしの顔どうですか?w」,「妄想ババアは2ちゃん坊を巻き込んでやるなよwwヒャッハー*\(^o^)/*あ〜現場着くわ!またな,おばあちゃん」などと書き込んだ(本件投稿)。


Xは,第三者がXになりすまして本件投稿をしたことにより,アイデンティティ権,プライバシー権ないし肖像権を侵害され,または名誉を毀損されたとして,プロバイダYに対し,プロバイダ責任制限法に基づいて,本件投稿の発信者の氏名等の開示を求めた。

ここで取り上げる争点

本件投稿によって,Xの権利が侵害されたことが明らかであるか。

参考:プロバイダ責任制限法4条(抄)

(発信者情報の開示請求等)
第四条  特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害されたとする者は、次の各号のいずれにも該当するときに限り、当該特定電気通信の用に供される特定電気通信設備を用いる特定電気通信役務提供者(以下「開示関係役務提供者」という。)に対し、当該開示関係役務提供者が保有する当該権利の侵害に係る発信者情報(氏名、住所その他の侵害情報の発信者の特定に資する情報であって総務省令で定めるものをいう。以下同じ。)の開示を請求することができる。
一  侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき。
二  (略)

裁判所の判断

裁判所は,本件投稿が第三者によるなりすましによるものであるということを認めたうえで,本件投稿によって,(1)Xの名誉が毀損されたか,(2)Xのプライバシー権または肖像権が侵害されたか,(3)アイデンティティ権が侵害されたかという点について判断した。


まず,名誉棄損については,事実を摘示したものではなく,他のユーザーに罵声を浴びせたものでもないなどとして,一般人基準において,Xの社会的評価が低下したとはいえないとした。


また,なりすまし投稿によって表示されるプロフィール画像等は,X自身が公開したものであり,プライバシー侵害や肖像権侵害も生じないとした。


アイデンティティ権について,次のように判示した。

原告は,なりすまし行為自体が原告のアイデンティティ権を侵害すると主張する。原告のいうアイデンティティ権とは,他者との関係において人格的同一性を保持する利益をいい,社会生活における人格的生存に不可欠な権利であって,憲法13条後段の幸福追求権ないしは人格権から導き出されるものであるとする。

 確かに,他者との関係において人格的同一性を保持することは人格的生存に不可欠である。名誉毀損プライバシー権侵害及び肖像権侵害に当たらない類型のなりすまし行為が行われた場合であっても,例えば,なりすまし行為によって本人以外の別人格が構築され,そのような別人格の言動が本人の言動であると他者に受け止められるほどに通用性を持つことにより,なりすまされた者が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるほどに精神的苦痛を受けたような場合には,名誉やプライバシー権とは別に,「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」という意味でのアイデンティティ権の侵害が問題となりうると解される。

しかし,「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」が認められるとしても,どのような場合であれば許容限度を超えた人格的同一性侵害となるかについて,現時点で明確な共通認識が形成されているとは言い難いことに加え,なりすまし行為の効果及び影響は,なりすまし行為の相手方となりすまされた者との関係,氏名,ハンドルネーム及びID等なりすまし行為で使用された個人を特定する名称,記号等の性質,顔写真の使用の有無及びなりすまし行為が行われた媒体等の性質等なりすまし行為の手段及び方法,なりすまし行為の具体的な内容などの諸要素によって異なることからすれば,どのような場合に損害賠償の対象となるような人格的同一性を害するなりすまし行為が行われたかを判断することは容易なことではなく,その判断は慎重であるべきである。

と,門前払いにするのではなく,一定の理解を示しつつも,その判断は慎重にすべきだとして,以下の事情の下では,「人格権としてのアイデンティティ権の侵害として不法行為が成立する場合があり得るとしても,本件投稿について検討する限り,損害賠償の対象となり得るような個人の人格的同一性を侵害するなりすまし行為が行われたと認めることはできない。」とした。

  • 本件掲示板は,独り言をつぶやく掲示板であること
  • 三者(本件発信者)がXのアカウントを乗っ取ったのではなく,第三者がXのハンドルネームと画像を使用してなりすましをしていたこと
  • アカウント画像とハンドルネームは随時変更可能であったこと
  • 本件発信者が,アカウント画像とハンドルネームを変えて投稿していることが本件掲示板上で指摘されていること
  • なりすましとされる期間が,長くても1か月余りであったこと


以上より,Xの請求は棄却された。

若干のコメント

本件は,ネット上でのなりすまし行為が不法行為となりうる根拠として「アイデンティティ権」を認めた事例として報道されるなど,注目された事件です。


なりすまし行為そのものを違法とする法的根拠は難しく,名誉,プライバシー権などの侵害がない限り,不法行為の成立は難しいと考えられていました。本件では,結論としてアイデンティティ権の侵害による不法行為を認めたものではありませんが,

なりすまされた者が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるほどに精神的苦痛を受けたような場合には,名誉やプライバシー権とは別に,「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」という意味でのアイデンティティ権の侵害が問題となりうる

と述べました。もっとも,権利侵害の要件として,なりすましに加えて,強度の精神的苦痛を受けた場合に限られるように読めるため,決してハードルは低くないですが,名誉棄損,プライバシー侵害がない場合でも違法となる場合がありうることを示したことには意義があると思われます。


なお,本件のX代理人を務めた中澤先生による解説も参考。https://www.bengo4.com/internet/n_4799/