大手コンサルティングファームの幹部が、競合に転職後、チームメンバーらに転職するよう勧誘した行為が、社会的相当性を逸脱するものであるかが争われた事例。
(本件は、「IT・システム判例」ではないが、IT業界全般で起こりがちな話で注目を集める事案なので当ブログでも取り上げる。)
事案の概要
本件の原告は、国際的プロフェッショナルネットワークグループのメンバー企業で、日本においてコンサルティングサービスを提供するX(合同会社)で、被告のYは、Xの元業務執行社員で、セキュリティ関係の部門(aチーム)の責任者を務めていた。
Yが、Xの在任中及び退職後に、部下らを自らの転職先であるeに転職するように勧誘したことについて、Xは、社内規程や誓約書に反するものであるとして、債務不履行または不法行為に該当すると主張し、規程に基づく損害約4000万円、調査費用等約6000万円等を含む約1億1000万円の損害賠償を求めた。
本件判決には多数の関係者が登場するが、主要な者を挙げておく。
- 【B】Yの職属の部下で、aチームのマネジャー職にあった者。Yの退職後、Xを退職してeに転職した。
- 【C、D、E】aチームのメンバーで、Y、Bから退職・転職の勧誘を受けた。Cは退職を思いとどまり、D、Eはeに転職した。
- 【F】Xのリクルーティング部門のマネジャー職にあった者で、Yの退職後、Xを退職してeに転職した。
Xの社内規程には次の定めがあった。
執行役員規程10条2項,パートナー規程9条11項
パートナーは,退任後にXと同一又は類似する事業に従事させることを目的として,Xの従業員等に対し引き抜き工作をしてはならない。退任パートナーは,退任後1年以内にX又はグループの他法人から他の従業員等を引き抜いた場合には,当該従業員等の前の1年間の報酬額(賞与金額を含む。)相当の金額をX又は当該法人に支払わなければならない。(「本件引き抜き禁止条項」)
社員報酬規程10条3項
パートナーへの退職慰労金の支給後に,当該パートナーについて,①在任中の行為につき除名に相当する事由が発見された場合,②会社に損害若しくは不利益をもたらしたと経営会議が認めた者に該当することが判明した場合には,Xが当該パートナーに支給した退職慰労金の返還を求めることができる。
YはXを退職する際に、「退職後にXと同一又は類似する事業に従事させることを目的としてXのパートナー及び従業員に対し引き抜き工作をしない」との条項を含む誓約書を差し入れており、退職慰労金として875万円が支払われた。
判決書きには、退職勧誘の経緯について、かなり生々しい事実が認定されている。当ブログでは、そのやり取りをセンセーショナルに書きたてることを目的としていないため、具体的事実の紹介は最小限にとどめる。
ここで取り上げる争点
(1)Yの債務不履行又は不法行為を構成する引き抜きをしたか否か
(2)引き抜きによってXに生じた損害の有無と額
裁判所の判断
争点(1)Yの債務不履行又は不法行為を構成する引き抜きをしたか否か
上述のとおり、生々しい事実認定をそのまま引用することは一部だけにし、おおよそ次のような事実が認定された。
- Yは、Bに対し、Xを退職してeに転職することを伝えるとともに、直接またはBを通じて、C、D、Eにもその旨を伝えてみんなで移るのはどうか、という提案をした。
- Yは、aチームのメンバー以外にもeへの転職を誘ったが、F以外からは断られた。
- Yは、広報担当者にビジネス誌の記者の紹介を依頼し、取材を受けた。この取材を元に公開された記事は、安全保障やサイバーセキュリティの専門家の退職者が出ることなどを伝える内容だった*1。
- Yの退職後に、Xの社内で退職者との接触を慎むように、との連絡が回っていることに接したYは、「是非、訴訟を煽って下さい」「崩壊がスタートしますよ」などと挑戦的なメッセージを社内の者に送った。
- B、C、D、Eは、eの面談を受けたが、Cは転職には前向きになれないなどと述べたため、Yは説得をした。Cは社内の者にYから誘われていることも打ち明けて相談した結果、慰留されてXに残ることを決意した。
- Yからは、メッセージをこまめに消すように指示が出ていた。
これらの事実を踏まえて、裁判所は、まず、Yの退職前の行為について次のように認定した。
Yは,Xに在籍していた平成30年9月頃以降,Bとともに,CやEに対し,本件チームごとe社に移籍するよう働きかけをしていたものということができる。また,上記のとおり,YがBとDに対してe社に転職することを告げていたことやY自らがB及びDも含めたaチームに所属する従業員に移籍後の構想や移籍の方法等を説明していたことに加え,Bが,後日である同年12月頃,本件グループへのメッセージにチームとして買い取らせるという印象をe社に持たせているなどと記載していたことや,さらにその後の平成31年2月には,YのXを潰してやるという感情に流されすぎたもののXからaチームの戦力を削ぐ必要はなかったなどと記載したメッセージを送っていたことからは,BがYの働きかけによりaグループごとe社に移籍するとの構想に同調したと推認できることをも総合すると,Yは,B及びDに対しても,Yとともにaチームごとe社に移籍するよう勧誘したものと認めることができる。
続いて、Yの退職後の行為についても、次のように認定した。
Yは,Xを退社した後の同年12月以降,B,C,D及びEがe社に転職した後の給与の額について,Yが窓口となって交渉した結果,同月27日にはe社の人事の決裁が下りたこと,平成31年1月5日にはこれらの従業員に対し,履歴書などの必要書類を用意するようYがBを通じて伝えたこと,e社との面談の日程調整をYがBを通じてした結果,同月8日に面談が行われたこと,Bからのe社のパートナーとの面談の趣旨を尋ねる質問に対し,Yがこの面談はラフに顔合わせする程度の認識でよく,e社への入社後は面談をするパートナーとは別系統のY直下の独立部隊として動くことの確約をとったなどと答えたことが認められるところ,e社のパートナーとの面談を経るまでもなく,Bらの移籍後の給与額や配属先等が決定していたことや,必要書類の提出やe社のパートナーとの面談といった移籍に向けた段取りにYが積極的に関与していたことからすると,B,C,D及びEの転職に関し,Yが,給与額や配属先等の勤務条件についてのe社との交渉を積極的に担っていたと評価することができる。
また、aチーム以外に属していたFに対する勧誘についても働きかけの事実を認め、その他、退職には至らなかったメンバー複数名に対しても積極的な働きかけがあった事実を認めた。
これらを踏まえて、裁判所は、
- Bらを勧誘するだけでなく、移籍後の勤務条件についてe社との間で交渉をするなど、極めて強度な働きかけだったこと
- その態様も、業務上の打合せであるかのように装って、秘密裏に動いていたこと
- Xから人員を流出させることでXのサイバーセキュリティ業務が機能しなくなることを企図していたことが推認されること
- 外部の記者を巻き込んで記事を書かせ、Xに在籍し続けることに不安を抱かせる内容にしたこと
Yは,Xの業務執行社員在任中から退任後にかけて,XにおけるYの指揮監督下にあったaチームの構成員を含むXの複数の従業員(B,D,C,E,F,H及びJ)に対してe社に転職するよう長期間にわたって勧誘し,具体的な給与額や配属先を含む転職後の勤務条件に関して当該従業員とe社の間に立って交渉を行い,希望する条件を約するなどして,積極的な働きかけを行っていた上,Yの上記勧誘行為は,K記者にXの内部情報等を伝えるなどしてXに対する批判的な記事の掲載に協力したことやaチームの構成員がe社に転職することによりXにおける□□に関連する業務に打撃を与えたことと相まって,コンサルティング業務を営むXからe社へと人材を流出させ,Xの事業に悪影響を及ぼすために行われたものということができる。そうすると,Yによる上記の行為は,単なる勧誘行為にとどまるものではなく,社会的相当性を逸脱した背信的な引き抜き行為であると評価するのが相当であり,Xの業務執行社員としての善管注意義務及び忠実義務並びに本件引き抜き禁止条項に基づく義務に違反するとともに,不法行為に当たるものというべきである。
争点(2)引き抜きによってXに生じた損害の有無と額
裁判所は、Yの引抜行為による損害として、本件引き抜き禁止条項に基づいて、退職したB、D、E、Fの1年分の報酬相当額として合計で約4200万円の損害を認定した。
これに加え、Xは、デジタルフォレンジック費用が約4000万円かかるなど、調査費用、弁護士費用の実費相当額約6000万円も損害に含まれると主張した。
この点について、裁判所は、本件引き抜き禁止条項は、損害賠償額の予定を定めたものであるとして、この条項に違反してXに具体的な損害が生じたとしても、その予定額を超える損害賠償を請求することはできないとした。また、この損害賠償額の予定の定めは、不法行為に基づく損害賠償請求の場合をも予定したものであるとした。
よって、裁判所が認定した損害賠償額約4200万円と、退職慰労金規定に基づいて支払われた約800万円の返還の合計で約5000万円の賠償を認めた。
若干のコメント
優秀な人材の取り合いが続くコンサルティング業界では、エージェントの紹介料は高騰するなど、近年、特にその傾向が強まっています。そんな中で生じたこの事件は、提訴前から脚注でも紹介した記事のように、いくつかのメディアでも報じられており、判決についても既に報じられています*2(デロイト自身もリリースを出しています。なお、控訴中)。
従業員による退職後の守秘義務、引き抜き、競業避止については、従来からどこまでが許されるのかは大きな論点となっていて、多数の裁判例があります。本件のような引抜行為については、原則として職業選択の自由もあり、違法性が認められにくいとはいえ、本件の場合は、①業務執行社員(役員相当)の高い職位の者であったこと、②チーム単位での移籍をもくろんでいたこと、③損害賠償の予定を含む明示的な引抜禁止の定めがあったこと、④強度かつ秘密裏に行われる態様であったことなどが考慮され、債務不履行及び不法行為が認められました。
この点については、高谷知佐子=上村哲史『秘密保持・競業避止・引抜きの法律相談[改訂版]』(青林書院、2019)のQ72「退職した役員・従業員による勧誘・引抜き行為」(322頁)が参考になりますが、結局は、許容範囲か、違法となるかは、個別具体的な事情次第でしょう。
また、本件の特徴は、引き抜き、転職したメンバーが秘密裏にやり取りしたと思われるものの、デジタルフォレンジックを通じてやり取りが詳らかにされたということも挙げられます。対象メンバーがサイバーセキュリティの専門部隊であったというのも興味深いところです。
*1:判決文からは、どの記事なのかは特定できなかったが、例えばこの記事「最大手会計事務所「○○」の国家機密情報が中国に狙われる」など。
*2:ダイアモンドオンラインの記事。
デロイト元幹部による引き抜きに賠償命令、コンサル業界「壮絶移籍工作」の全内幕 | 勝ち組に死角! コンサル大乱戦 | ダイヤモンド・オンライン