IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

契約の成否と契約締結上の過失 東京地判平29.1.13(平26ワ14718)

要件定義フェーズ後に、開発フェーズの作業を実施したものの金額等の条件の合意に至らず中止された場合において、注文者の契約締結上の過失責任が認められた事例。

事案の概要

Yは、エンドユーザAからアプリ(本件アプリ)の開発を受託し、Xに対し、本件アプリの要件定義業務を委託した(代金税抜き35万円)。XとYは、要件定義業務と並行して、開発に関する取引基本契約(本件基本契約)を締結した。

Xは、要件定義を終えて、Yに対し、本件アプリに関する開発作業について、6パターンの見積を提示したが、その直後にYは本件アプリに関する作業の中止を伝えた。

そこで、Xは、Yに対し、要件定義に関する報酬の請求を行ったほか、開発作業に関し、主位的には請負契約が成立していたことを前提に民法641条*1に基づく損害賠償請求を行い、予備的にいわゆる契約締結上の過失に基づき、出来高相当の損害または商法512条に基づく相当報酬の支払いを求めた。

ここで取り上げる争点

(1)本件アプリ開発に関する契約の成否

(2)Yの本件アプリ開発契約に関する契約締結上の過失の有無

(3)Xが被った損害の額

なお、Xの請求には、要件定義に関する報酬支払請求(税抜き35万円)も含まれていたが、これについてはほとんど大きな争点もなく、認められている。

裁判所の判断

争点「(1)本件アプリ開発に関する契約の成否」について

裁判所は次のように述べて開発契約の成立を否定した。

本件ミーティング*2においては「開発対象のご相談」が議題内容とされ,Xが追加提案書において提案した開発対象を,Y及びAに対して改めて提案ないし相談したことが認められるものの,これに対するY及びAの認識を明確に示す議事録の記載がないことからすれば,YがXの提案を受け入れたとは認められず,XとYとの間で開発作業についての契約が成立したと認めることはできない。
 Xは,Aが開発作業に要した費用を負担する姿勢であるとYが伝えてきたことや,Yがキャンセル費用を提示してきたことを,開発契約が成立したといえる根拠として主張する。しかしながら,これらの事情は,Y又はAにおいて,Xが契約締結に先行して開発作業を行っていたことを認識していたことを示すものであるとはいえても,開発作業についての契約が成立したことを示すものとは直ちにはいえない

書面が作成されていない段階での契約成立には厳しい判断をした。

争点「(2)Yの本件アプリ開発契約に関する契約締結上の過失の有無」について

裁判所は、契約の成立は否定したものの、Yは、Xが開発に関する受注について強い期待を抱かせたと認定した。少々長いが関係個所を引用する。

Xは,Yとの間で本件要件定義契約を締結した後,当初見積書どおりの納期を維持する必要から,本件アプリの開発作業を開始し,当初はX自身の用意した開発用スマートフォン上で作業を行っていたが,YからAWSサーバーの接続情報の提供を受けた後は,同サーバー上で作業を開始し,多数のプログラミング等を行い,成果物一覧記載のうちNo.11からNo.25までの成果物を開発していたことが認められる。そして,前記認定によれば,Yは,Xに対し,開発用サーバーであるAWSサーバーへの接続情報を提供したほか,Yの使用するBacklogのアカウントをX担当者においても利用可能にするとともに,Gitのプラグインを追加し,本件ミーティング後においても,本件アプリの検収に至るスケジュールの確認,Yが担当するデザイン面のフォーマット及びサイズ指定の指示,保守契約についての質問等を行ったことが認められる。

Yによる上記のような対応のうち,AWSサーバーへの接続情報の提供及びBacklogのアカウントの設定等は,いずれもXが開発作業を行うための環境を整備するものであり,実際にも,これにより開発作業を行うことが可能になったのであるから,Xに対し,開発作業についても発注を受けることができるとの強い期待を抱かせる行為であるとともに,Yが,Xにおいて開発作業に入ることを認識しながら,これを事実上黙認していたことを示すものというべきである。また,本件ミーティング後におけるYの前記対応も,Xが本件アプリ開発を受注することを前提とする行動であるか,又は開発作業に入った後に検討すべき事項についての指示を行うものであり,Xに対し,開発作業についての受注を受けることができるとの強い期待を抱かせるものということができる。

よって、YはXに対して強い期待を抱かせ、開発行為に着手させながらこれを黙認していたから、Xが被った損害について賠償するべきであるとした。

争点「(3)Xが被った損害の額」について

Xは、Yの行為によって被った損害として、Xの従業員の作業単価(35000円/日)に日数を乗じた額を請求していた。しかし、裁判所は、次のように述べて契約締結上の過失による損害には逸失利益は含まないとし、人件費・経費などの開発期間中に生じたXのコストに限られるとした(Xの請求は、売値ベースでの約262万円だったのに対し、裁判所が認定したコストベースでの損害額は、約176万円だった。)。

Xは,Xの利益を含む日額3万5000円の人工代金をもってXの損害を算定すべきであると主張するが,契約の締結に至らなかった場合における契約締結に対する信頼が害されたことに基づく損害には,逸失利益は含まれないと解するのが相当であるから,Xの主張は採用することができない。同様に,本件開発契約に係る逸失利益についても,損害と認めることはできない。

また、契約が成立しておらず、契約締結上の過失によって填補される損害がある場面では、商法512条に基づく請求は認められないとした。

若干のコメント

本件も数ある「契約は成立していたか」「成立していないとしても発注者に損害賠償責任を負うか」という事案の一つです。

本件では、①先行する要件定義フェーズの契約は成立していたが、開発フェーズは基本契約が締結されただけだった、②開発フェーズは見積が示されて説明・協議が行われただけだったということで、開発フェーズの契約の成立を否定しました。

他方で、開発作業に必要となるAWSのアカウントを作ったり、Backlogのユーザを追加したりするなど、環境を提供していたこと、開発フェーズの成果物の一部を開発していたこと、Yが作成した成果物に対し、Xがフォーマット等の修正を指示していたことなどから、Xは、開発フェーズも受注できるという強い期待を抱いたとして、一方的に破棄したYの責任を認めました。

中止に至った原因は、エンドユーザであるAが他のベンダーに発注したいという意向を示したためであり、YからXに対してキャンセル料を支払いたいという意向を示していました(しかも、その額は、たまたまなのかわかりませんが、本件訴訟の認容額とほぼ同額でした。)。

詳しい事情はわかりませんが、元請けであるYも、うまくAの事情を把握できていなかったと思われますし、場合によってはYからAに対して同様に契約締結上の過失を問うことができたのではないかと思われます。

ところで、契約締結上の過失があった場合の損害賠償の範囲には「履行利益」は含まれず「信頼利益」に限られるとする考え方が一般的です*3。しかし、そのようなシンプルな考え方ではなく、契約交渉の成熟度合によっては、履行利益をも賠償の対象とすべきであるという考えも有力です*4

本件でも、作業中止に至る経緯を見る限り、実質的に開発作業を任せており、Xの過失相殺すら争点にもなっていないところからすると、契約成立後の注文者解除とほとんど変わらない状況であったといえるため、履行利益相当の賠償を認めてもよかったのではないかという気もします。

*1:注文者は請負契約をいつでも解除できるが、請負人は損害賠償請求できるという規定。

*2:Xが開発に関する見積を提示した翌日に行われたミーティング。

*3:我妻栄民法講義V1 債権各論 上巻』40頁ほか

*4:加藤新太郎編『契約締結上の過失』326頁。契約締結上の過失(肯定)東京高判平21.5.27(平20ネ5384) - IT・システム判例メモ のコメント欄で紹介しています。