IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

FXシステムでロスカット処理が18秒遅れたことがシステム整備義務違反とされた事例 東京地判平25.10.16(平21ワ45955)

Yの提供するインターネットを使用したFXサービスを利用したXが,実際に設定したタイミングと約定との乖離によって損害が生じたとして,Yに損害賠償を求めた事案。

事案の概要

Xは,Y証券会社のインターネットFX取引をしていた。Xはロスカット(評価損が一定額になると強制的に決済して損失を一定範囲に抑える仕組み)が市場相場と乖離した価額で行われたとして,ロスカット設定値と約定値の差額約1500万円の賠償を請求した。


なお,ロスカット注文は成行で行われるため,相場の状況によっては,設定値に達してから約定するまでの間に一定のタイムラグが生じることは避けられず,設定値から乖離した価格で約定することも一般的に起こり得る(このタイムラグによるロスカット設定値と約定価格の乖離は「スリッページ」と呼ばれている。)。このような現象が起き得ることはXはYから説明を受けていた。


このタイムラグが本件では18秒であったことが問題となった。

ここで取り上げる争点

Yのシステム整備義務の違反

裁判所の判断

専門委員の「本事件に対する再度の見解」と題する書面の意見の要旨は次のとおりであった。

(1)  FX業者の配信気配とは,インターバンク市場動向の気配を踏まえて,FX業者が独自に参考として顧客の取引を誘引するために提供する指標である。したがって,被告配信レート及びMBL配信レートも,あくまで気配値であり,インターバンク市場におけるMBLの成約済みの状況を配信しているわけではない。

(2)  本件各取引は,USドル/円通貨ペアであり,その市場規模は最も流通量が多いこと,米国の日中営業時間中であること,当時の国際情勢に加えて,第2取引当時のロイター配信のインターバンクレートが急激に下降しているとはいえない状況であることから,原告の取引量を考慮しても,本件建玉2のロスカット注文の執行につきロスカット設定値到達から18秒から22秒間のスリッページが生じることは合理的範囲を超えている。
上記取引時の状況からすると,本件各取引のロスカットは,10秒程度以内のスリッページが許容範囲である。


Yによるシステム整備義務については次のように述べている。

(本来,スリッページが生じること自体は,契約上予定されていたとしつつ)
もっとも,上記のとおり,被告は,顧客に対してインターバンクレートと同程度の取引レートを提供する旨説明し,顧客の損失を可及的に限定することを目的としたロスカット機能を設けた上でNetFx取引システムをインターネット上で広く顧客に提供しているのであるから,顧客は,ロスカットの執行についても,相場の状況に急激な変動等がない限り,被告により提供されたインターバンクレートと同程度の取引レートに基づいて,ロスカット設定値に近接した約定値で約定されるものと信頼して契約関係に入るものということができる。そうすると,ロスカット実行によるスリッページについても無制限に許容されるものではなく,これを合理的な範囲に制限するのが当事者の合理的意思にかなうというべきであり,被告は,NetFx取引の顧客である原告に対して,本件契約上,ロスカット注文を含む取引注文の処理時における相場の急激な変動があり,迅速な注文処理が困難ないし不可能であるなどの特段の事情がない限り,スリッページが合理的範囲に留まるようにシステムを整備すべき義務があったというべきである。

つまり,仕組み上,ある程度のタイムラグは仕方ないとしても,「相場の状況に急激な変動等がない限り」近接した約定値で約定されることが期待されるから,合理的範囲にとどまるようなシステムを整備する義務があるとした。


続いて,本件各取引が,合理的範囲に収まったのかということついて,上記の専門委員の意見を踏まえて次のように判断している。

第1取引は,遅くとも平成16年3月9日午前3時38分31秒頃,ドル円レートがロスカット設定値に到達し,ロスカット注文を執行すべき段階となったが,MBLは,同日午前3時38分40秒頃に,インターバンク市場において,111円50銭の日本円を調達したことが推認される。そうすると,第1取引のロスカットは,設定値到達から約10秒時点で約定したことが認められる。そうすると,そのスリッページは,直ちに合理的な範囲内を超えるものということはできない。
 次に,上記各別紙によれば,第2取引は,遅くとも同月10日午前3時00分19秒頃,ドル円レートが本件建玉2のロスカット設定値(110円89銭)に到達し,ロスカット注文を執行すべき段階となったが,MBLは,同日午前3時00分37秒頃に,インターバンク市場において,110円25銭の日本円を調達したことが推認される。そうすると,第2取引のロスカット,設定値到達から約18秒時点で約定したことが認められる。しかるに,本件全証拠によるも,第2取引につき,被告のカバー先であるMBLが,ロスカット設定値到達後10秒以内にインターバンク市場において日本円を調達することが困難ないし不可能であったことを基礎付ける事情等の特段の事情は認めることができない

Yは,Xの注文単位が大きすぎたこと等がタイムラグの理由であるなどと主張していたが,特段の事情についての主張立証はないとされている。


その結果,第2取引について,ロスカット設定値に達してから10秒が経過した時点でのレートと,約定したレートとの差額が「相当因果関係のある損害」だとされた。

若干のコメント

本件は,すでに紹介したFX取引システムの不備についての裁判例東京地判平20.7.16)と類似しますが,平成20年判決がシステム障害によって1時間弱取引ができなかったことが問題となったのに対し,本件では,本来の設定値より18秒遅れてしまったことが問題となっています。よりシビアな事例だといえます。


たかだか18秒,さらには10秒までは許容範囲とした専門委員の判断により,8秒の差が損害の額を左右することになりました。レートの差は110円39銭と,110円25銭なので14銭ですが,賠償額は200万円の差になってきます。


もう一つの注目点は,もともとスリッページが予定されていた場合において,義務違反となる場合のメルクマールを専門委員の意見書に基づいて判断したという点です。確かに,裁判官にはシステム,サービスの品質の妥当性を判断することは困難であり,専門委員の意見が尊重されやすい場面であったと言えます。


ミッションクリティカルなシステムを提供する事業者の責任について参考になる事例です。