IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

情報漏えい行為による損害 東京地判平27.3.27(平25ワ13802)

元同僚の残業代請求訴訟の証拠として用いる目的で,社内の情報を漏えいしたことについての責任と損害。

事案の概要

(原告が2当事者(会社と税理士法人)いるが,簡略化して,Xと表記する)

Xの元従業員であったYが,業務上の機密を第三者に漏えいしたとして,労働契約上の機密保持義務違反による債務不履行に基づく損害賠償を請求したという事案である。


持ち出したとされる情報は,「集計シート」と呼ばれるもので,担当する顧客ごとにどのような業務を,どれくらいの時間をかけて作業したのかという表形式の文書である。Yは,Xに在職中に,自己以外の数名の元従業員Bらの分の「集計シート」(本件データ)をUSBメモリにダウンロードし,Xを退職した後に,Bに渡した。


Y及びBらは,Xに対し,未払残業代請求訴訟(別件訴訟)を提起し,当該別件訴訟において,本件データをプリントアウトしたものを証拠として提出した。

ここで取り上げる争点

就業規則中の守秘義務規定が,労働契約の内容となっていたかという点について争われたが,この点については割愛する。また,就業規則中の守秘義務は,労働契約の終了とともに終了し,退職後も同様の義務を負うとは認められないとしつつも,Bらへの交付は退職後であったものの,Yによる持ち出し行為は在職中に行われたことから,雇用期間中に債務不履行行為に着手しているから,機密保持義務の適用を受けるとした。


これを踏まえて,以下では下記争点を取り上げる。

(1)本件データの機密該当性
(2)損害

裁判所の判断

争点(1)機密該当性について

本件は,不正競争防止法に基づく請求(営業秘密の不正利用)ではなかったが,次のように述べて同様の基準でもって守秘義務の対象になるかどうかを検討した。

在職中の労働者は,労働契約上の信義則に基づく誠実義務として,当然に,業務上知り得た企業の機密をみだりに開示しない義務を負うところ,本件就業規則は,この義務を機密保持義務として明文化したものと解される。そして,ここで機密保持義務の対象となる機密は,不正競争防止法上の営業秘密よりも広い範囲のものとなり得るが,同時に,その守秘義務の範囲が無限定なものとなり,過度に労働者の権利ないし利益を制限したり,情報の取扱いについて萎縮させることのないように,その範囲を限定されると解される。
ある情報をもって「営業上の機密」というためには,当該情報の属性として,機密の本来的な語義からしていまだ公然と知られていない情報であり(非公知性),当該企業の活動上の有用性を持つこと(有用性),そのうえで当該情報が当該企業において明確な形で秘密として管理されていること(秘密管理性)が必要であると解すべきである。

このように述べて,集計シートは社内の情報であって公知ではなかったこと,顧客情報や時間単価を含むものであって有用であると認定した。また,集計シートにアクセスするためには,PCにID・パスワードを入力しなければならないこと,集計シートにはパート,アルバイト,派遣スタッフにはアクセスできないような権限設定がされていたことを以って秘密管理性も認めた。


また,持ち出し・交付行為が債務不履行に該当することも認めた。

争点(2)損害

Xが主張していた損害は,Yの行為によって,Xの役員Aらが調査をしたり,データ管理方法を強化したり,Bとの和解交渉や打ち合わせをしたりするのに時間を要したことによる利益喪失だとしていた。


これについて,裁判所は次のように述べた。

仮に何らかの必要な作業が主張に係る時間をかけて行われたものと措定するとしても,その対応に費やした時間内において処理することが予定されていたAの担当業務のうち,Aによる直接の処理ができなくなったことによってXらとして業務を受任等する機会を逸し,あるいは代行者による処理をしたことにより収益が減少することになった具体的な業務の内容や,現実にAの同行営業活動により具体的に獲得することのできたであろう具体的な業務等々は何ら明らかでなく,それは別紙記載の他の項目についても同様であるだけでなく,実際に処理することができなくなった別紙記載の各項目に係る具体的な業務が存在するものと仮定したとしても,そのように処理ができなくなった業務により具体的な因果関係をもって発生した逸失利益及びその数額を認めるに足りる証拠も全くない。

そして,上記のXの立証状況に照らすと,X主張の損害は,民法248条にいう「損害が生じたことが認められる場合」という程度に立証されておらず,また,そもそも「損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるとき」に当たるものでもないから,同条による相当な損害額の認定もできない。

として,請求は棄却された。

若干のコメント

本件は,ITに関する事件とはいえませんが,残業代請求訴訟を主戦場とする元従業員対会社の紛争の拡大戦線事案として興味深かったため取り上げました。


いわゆるタイムシートのような作業履歴は,弁護士業務においてはもちろんのこと,他のプロフェッショナルファームの業務においても機密性の高い情報であって,秘密管理されていることが通常であるため,これをみだりに持ち出すことは守秘義務違反に問われることは理解できます。


ただし,持ち出した資料の利用目的が,残業代請求(本件では自分のために限らず,他の元従業員のためというところがポイントですが)にあったことを考えると,会社が別訴を提起してまでこれを叩くというのはあまり筋が良くないように思われます。裁判所も債務不履行を認めつつも,損害論で切ったのには,そうした考慮があったのではないかと思われます。