IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

テスト設計書ひな型の著作物性・営業秘密該当性等 東京地判令4.5.31(令元ワ12715)

テスト業務の専門事業者から退職した従業員が、テスト設計書のひな型を持ち出して転職先で使用したという件について、誓約書違反、不法行為著作権侵害、不正競争(営業秘密)など、さまざまな根拠を挙げて損害賠償請求を行ったという事案。

事案の概要

Y1は、2017年5月にソフトウェアテスト専門業者のX社に入社し、ソフトウェアテスト事業に従事し、グループ長を務めた後に2018年7月に退職した。その後、AIの研究開発、テスト業務を行うY2社に転職した。

Y1は、入社時に守秘義務を負う旨の誓約書をX社に提出しており、退職時にも守秘義務と競業避止義務を負う旨の誓約書をX社に提出していた。

X社では、テスト業務に用いるテスト設計書のひな型として、本件ファイル1本件ファイル2を作成していた。

Y1は、X社を退職する直前に本件ファイル1をチャットツールの自身のアカウントにアップロードし、Y2社に転職した後にダウンロードして、Y2社における社内研修で使用するために本件ファイル1を書こうした資料(本件研修資料)を作成した。この資料は、実際にY2社における社内研修で使用された。また、Y2社は、受託したテスト業務において、本件研修資料を用いてテスト設計書を作成し、発注者に納品した。

X社は、

  • ①Yらが不当利得を得たことを理由とする不当利得返還請求権
  • ②各誓約書に違反したことを理由とする債務不履行に基づく損害賠償請求権
  • ③X社のノウハウを侵害したことを理由とする共同不法行為に基づく損害賠償請求権
  • ④本件各ファイルは著作物であって、著作権を侵害したことを理由とする共同不法行為に基づく損害賠償請求権
  • ⑤本件各ファイルは営業秘密であって、不正競争をしたことを理由とする不競法4条に基づく損害賠償請求権

に基づいて、約12.5万円の請求を行った(前記①から⑤の請求は、①から順に優先順位を付けられた。)。

ここで取り上げる争点

上記①から⑤の請求それぞれについて取り上げる。

(1)不当利得返還請求の成否

(2)誓約書違反による損害賠償請求の可否

(3)ノウハウ侵害による不法行為の成否

(4)著作物該当性

(5)営業秘密該当性

裁判所の判断

争点(1)不当利得返還請求の可否

X社は、Y1が本件ファイル1を用いた資料を作成して研修を行ったことが、X社の教育効果を享受するという「利益」を得た旨を主張していたが、この点は次のように述べて退けた。

本件ファイル1においてX講座がそのまま具現されているものとは到底評価できないものであって、そうである以上、Y1が本件ファイル1を利用しただけで当然にX講座の教育効果を享受するという「利益」を得たということはできず、YらがX社の財務又は労務によって「利益」を得たとは認められないというべきである。

争点(2)誓約書違反による損害賠償請求の可否

本件各ファイル(テスト仕様書のひな型)が、誓約書に定める「秘密情報」に該当するかが争われた。

この点について、本件各ファイルは、個別案件についてのテスト結果等が記載されたものではなく、「マル秘」等の表示もなく、X社の従業員であれば誰でもアクセスd可能だったことなどから「X社において秘匿性の高い情報として扱われていたとも認められない」として、秘密情報該当性が否定された。

同様に、競業避止義務の定めについては、次のように述べて公序良俗に反して無効であるとした。

退職時誓約書2に係る合意は、Y1が、X社と競合関係にある事業者に就職又は役員に就任することだけでなく、「名目の如何を問わず、また、直接・間接を問わず」(4項)X社との競業関係を発生させる活動を行うことを禁止するものであるため、Y1に対し、X社との競業関係を発生させるあらゆる活動を禁止したものと解するほかない。X社の業務はソフトウェアのテスト業務であるから、同合意は、テストウェアのテスト業務に関わるあらゆる活動を禁止したものということになる。
Y1は、X社に就職する前からソフトウェアのテスト業務に従事していた者であり、X社に在籍している間も同業務に従事していたのであるから、X社退職後ソフトウェアのテスト業務に関わるあらゆる活動が禁止されるとなると、それまでの職業生活で得た知識や経験を活かすことが不可能になり、その職業選択の自由等が制限される程度は極めて大きい。その一方で、X社において、Y1が負う不利益を緩和するために何らかの代償措置を講じていたことを認めるに足りる証拠はない。
そうすると、競業避止義務を課される期間が退職後2年間に限定されていること等を考慮しても、上記合意は、Y1の職業選択の自由等を過度に制約するものであって、公序良俗に反して無効であるといわなければならない。

争点(3)ノウハウ侵害による不法行為の成否

裁判所は、最判平23.12.8*1を引用し、本件各ファイルの利用行為について「著作権法不正競争防止法が規律の対象とする利益とは異なる法的に保護された利益を侵害するなどの特段の事情がない限り、不法行為を構成するものではないと解する」とした上で、特段の事情の有無を検討した。その点について、下記のように述べて、不法行為を構成するものではないとした。

テスト業務は、ゲームソフト等のソフトウェアが仕様どおりに動作するかを確認してプログラムの不具合の有無を検出することを内容とするものであるため、そこで確認すべき事項は、ソフトウェアの仕様として明示的に記載されている事項か、当該ソフトウェアが当然有すべき性能に係る事項に限定されると考えられる。このようなテスト業務の性質にも照らして検討すると、上記認定のような本件ファイル2自体が、客観的,具体的見地からみて、X社独自のテスト観点等を記載したものとして、著作権法不正競争防止法が規律の対象とする利益とは異なる法的に保護された利益を有するとまではいいがたく、Yらの行為が、自由競争の範囲を逸脱し、原告の営業を妨害するものであるとはいえない。

争点(4)著作物該当性

裁判所は、著作権法2条1項1号の著作物の定義を引いたうえで、テスト業務について

テスト業務は、ゲームソフト等のソフトウェアが仕様どおりに動作するかを確認してプログラムの不具合の有無を検出することを内容とするものであるため、そこで確認すべき事項は、ソフトウェアの仕様として明示的に記載されている事項か、当該ソフトウェアが当然有すべき性能に係る事項に限定されると考えられる。このようなテスト業務の性質にも照らして検討すると、上記認定のような本件ファイル2自体が、客観的,具体的見地からみて、X社独自のテスト観点等を記載したものとして、著作権法不正競争防止法が規律の対象とする利益とは異なる法的に保護された利益を有するとまではいいがたく、Yらの行為が、自由競争の範囲を逸脱し、X社の営業を妨害するものであるとはいえない。

と述べたうえで、X社が個性が表されていると主張する①シートの選択及び配列、②各シートのレイアウト及び配色、③各シートの文言について、①はアイデアに過ぎず、

上記②について、X社は、レイアウト及び配色を統一したことなどを主張するが、一定の目的の下に複数のシートを作成する場合に、見やすさ等を考慮して各シートのレイアウトや配色を統一することは、テスト設計書に限らず広く一般的に行われる工夫にすぎず、本件各ファイルの制作者の個性が発揮されたものと評価することはできない。

さらに、上記③について、X社は、(略)それらの名称や説明等の表現は多数ある他の記載方法から選択したものであることなどを主張するが、表の中の限られたスペースに名称や説明等を記載する場合に、見やすさ等を考慮して文章形式ではなく記号や改行等を用いた簡潔な表現とすることは、テスト設計書に限らず広く一般的に行われる工夫にすぎず、本件各ファイルの制作者の個性が発揮されたものと評価することはできない。

と述べて、著作物性を否定した。なお、具体的なファイルや表現については、閲覧等制限がかけられていると思われ、裁判所ウェブサイトや判例DB上では確認できなかった。

争点(5)営業秘密該当性

裁判所は、本件各ファイルについて、秘密管理性を否定し、営業秘密(不競法2条6項)には当たらないとした。

X社は、

①各従業員はIDとパスワードを入力しなければ業務用パソコンを使用することができなかった、

②USBメモリなどをパソコンに接続しても社内情報の持ち出しができない技術的な設定を施していた、

③社内に情報の持ち出しを禁止する旨の掲示をしていた、

④機密情報管理規程として原告が保有する全ての情報を第三者に漏らしてはならないことを定めていた、

⑤退社時には秘密保持義務や競業避止義務を定めた誓約書を提出させていたなどと主張する。

しかし、仮にこのような事情があったとしても、それらの事情は、各事柄の性質に照らし、X社が本件各ファイルについて営業秘密としての格別の取扱いをしていたことを示すものとまではいえず、(引用者注:本件各ファイルには、個別案件のテスト結果や個人情報等の記載がないことや、マル秘表示もなく、パスワードも設定されず、誰でもアクセス可能であったこと等を挙げて)本件各ファイルがX社において秘密として管理されていたと認められないことを左右するものではないというべきである。

若干のコメント

本件は、テスト業務の専門事業者から退職した従業員が、テスト設計書のひな型を持ち出して転職先で使用したという件について、誓約書違反、不法行為著作権侵害、不正競争(営業秘密)など、さまざまな根拠を挙げて損害賠償請求を行ったという事案ですが、いずれも否定されました。

本文中にも記載したように、肝心のテスト設計書のひな型(本件各ファイル)そのものは、判例DBから確認することができなかったのですが、この種のソフトウェア開発で使用する仕様書、設計書等の著作物性を認めるのはハードルが高かったと思われます*2

また、営業秘密該当性についても、誰でもアクセスすることができたというところが決め手となって否定されました。

本件では、著作権法不正競争防止法に基づく請求以外に、会社に対して提出した誓約書違反に関する主張もされていました。入社時、退職時に「秘密保持」「競業避止」を含む誓約書を提出することはよくありますし、本件でも、一見するとY1の行為はこれらの誓約事項に違反することになりそうでした。しかし、裁判所は、誓約書において秘密保持の対象となった「情報」について、営業秘密における秘密管理性と同様の規範を用いて否定し*3、競業避止の規定については、代償措置もないとして無効だとされました。

この結果を見ると、会社としては、ノウハウとして真に保護すべきものについては、営業秘密に該当するよう、しっかりと秘密管理することが求められますし、そこまでに至らない、ドキュメントのテンプレートであれば、一定程度流用されることも自由競争に範囲として甘受しなければならないということになりそうです。

しかし、本件の判決文は、特に本件各ファイルの内容に関し、「●(省略)●」のようにマスキングされた箇所が多数存在します。これは当事者が閲覧等制限を申し立てた結果であるのかどうかははっきりしませんが、閲覧等制限が認められるための要件としては、民事訴訟法92条1項2号に定めるように、

二 訴訟記録中に当事者が保有する営業秘密不正競争防止法第二条第六項に規定する営業秘密をいう。(略))が記載され、又は記録されていること。

営業秘密に該当することが要件となるので、閲覧等制限申立ての局面では営業秘密であると認めつつ、本訴の本件各ファイルについては営業秘密に該当しないと判断しているとすれば、ダブスタな感じがします。

*1:いわゆる北朝鮮国民著作物事件。

*2:あまり近い事例は思い当たらなかったのですが、ドキュメントのサンプルの著作物性を否定した事例として、東京地判平26.9.30があります。

*3:不競法2条6項と同様の要件が必要だと明示的に述べたわけではありません。