IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

契約準備段階における過失によりユーザ(注文者)の損害賠償責任が認められた事例 東京地判平19.11.30平17ワ21377号

ユーザの都合によりシステム開発が中止になった場合においてベンダが開発報酬ないし損害賠償の請求を行った事例。

事案の概要

人材派遣会社Yは,開発ベンダXとの間で,基本契約を締結し,基幹業務システムの開発を委託した。Xは,フィージビリティスタディ業務*1を実施し,平成16年3月と5月に合計で報酬約4170万円を受領した。


さらに,Yは,Xに,平成16年3月,基本設計フェーズ1と称する作業等を委託し,合計で約1億2500万円を支払った。さらに,同年9月,基本設計フェーズ2と称する作業を開始したが,10月下旬には,Yの親会社(外資系)の承認が得られないとして継続できなくなった。なお,この過程でEBS検証と呼ばれる作業(OracleのビジネスソフトであるeBusiness Suiteの適合性を行う作業)がXによって実施されているが,この作業の位置づけが問題となっている。


Xは,11月2日に,基本設計フェーズ2の見積書を提出(金額は約1億5600万円)し,それまでの成果物を提出した。さらに,翌17年3月31日付で,サーバ・ネットワーク工事費用などとして,合計約2230万円を請求した。Yは,サーバ等の工事費用については支払った。


しかし,Yは,基本設計フェーズ2に関する報酬は支払わなかったため,Xが,報酬ないしは契約準備段階における過失に基づく損害賠償として約1億800万円の支払を求める訴えを提起し,Yは,これに対して,上記の約2230万円について返還を求める反訴を提起した。

ここで取り上げる争点

  1. 基本設計フェーズ2に関する契約が成立しているか
  2. Yは契約準備段階における過失により損害賠償責任を負うか
  3. Xの損害はいくらか

裁判所の判断

基本設計フェーズ2契約の成否について,以下のような事実が認定されている。

  • 平成16年8月16日,Xから基本設計フェーズ2作業に着手できないかとの提案がなされたが,YのマネジャーCからは本国会社の承認を得る所存であると伝えられた
  • 同月18日,XY間で今後の進め方が検討され,Cからは,注文書を9月末までには発行できると思うと発言し,Xが基本設計フェーズ2の作業に着手することを了承した
  • 同月30日,Xから,基本設計フェーズ2の詳細な見積もりを近日中に提案予定であると報告し,31日には,スタッフ給与サブシステム部分を除いて約3億8300万円の見積書を提出した(システム総額としては約21億から23億円とする見積もりがあった)
  • 翌9月17日の報告会議事録には,「早急に(フェーズ2を)10/1スタートを目指すこととする」との記載があった
  • 同月30日には,上述の見積書で除外されていたスタッフ給与サブシステム部分について約8500万円とする見積書が提出された
  • Xは,10月15日の報告会で,10月下旬までに基本設計フェーズ2の契約がなければプロジェクトを中断し体制をいったん解散する必要があることを伝えた
  • 同月27日のYの経営会議では本件開発プロジェクトについて付議されず,Yは,Xに,いったん凍結するよう申出がなされた
  • これを受けてXはYに,これまでの基本設計フェーズ2の成果物を添付するとともに,約1.5億円の見積書を再提出した
  • 基本設計フェーズ2以前のフェーズについては,注文書が作成されている一方で,基本設計フェーズ2についてはそのような書面は交わされていない


裁判所は,これらを踏まえ,

本件基本契約において具体的事項は個別契約をもって定めると規定されていること,基本設計フェーズ2以前の段階における(略)基本設計フェーズ1のいずれにおいても,Xによる見積書及びYによる注文書が作成されていること,これに対しEBS検証及び基本設計フェーズ2に関しては,プロジェクトが凍結された平成16年10月下旬以前には同様の形式の見積書及び注文書は作成されていないこと,平成16年10月時点において,X担当者も未だ基本設計フェーズ2の契約がなされていないことを前提にしてその契約締結を目標としていたことが認められる。
これらの事実に照らせば,基本設計フェーズ2(EBS検証を含む。)についてXとYとの間において個別契約締結の合意がされたと認めることはできない。


とした。先行するフェーズにおいても,基本設計フェーズ2においても,注文書発行の前に作業を先行しているという事実については,

これらは,注文書発行が確実視される状況の下でXやYの現場サイドが作業を先行させたにすぎず,結果的にその後(遅くとも数週間以内)注文書が発行されているため,基本設計フェーズ2等のような問題が生じなかっただけとも解されるのであって,本件においては,EBS検証の実施や基本設計フェーズ2の作業の開始をもって各契約成立の判断指標とすることはできない。


と,あくまで書面による合意を重視する判断をした。


続いて,契約準備段階における過失による損害賠償責任について。


先ほどの契約締結に向けた事実関係に加えて,以下の事実を認定している。

  • 基本設計フェーズ1とフェーズ2は,基本設計の工程を2つに分割したものにすぎないこと
  • 先行するフェーズでも注文書発行前からYの協力の下で作業が開始されていたこと
  • Yの実務レベル責任者であるマネジャーCは基本設計がフェーズ1で中断するとは全く想像していなかったこと


これらから,

Xとしては,基本設計フェーズ1の作業終了後である(平成16年)8月には,主にYの担当者等との打合せ等を通じ,Yにより基本設計フェーズ2についてもそれまでの工程と同様の形で発注行為がなされるものとの強い信頼を有するに至っていたと認められるから,Xとの間で本件基本契約及び個別契約を締結して本件プロジェクトを基本設計フェーズ1まで進めてきたYとしては,そのような打合せ等の過程に照らし,信義則上,Xに対し,そのような信頼を裏切って損害を被らせないように配慮すべき義務を負っていたというべきである。
にもかかわらず,Yは,現場責任者であるCにおいて平成16年8月の時点で基本設計フェーズ2の開始を了承し,その後同年10月下旬に本件プロジェクトが凍結となるまで,Xが上記作業を行っていることを認識しながら,これらの作業について注文書が発行されない可能性の有無やその場合にXが負うリスクについて言及することなく,むしろYの現場担当者がXに協力して作業を進めるのを漫然と容認していたのであって,そのようなYの対応は,上記のような信頼を抱いていたXとの関係において,上記信義則上の義務に違反したものと認めるのが相当である。

と,Yの契約準備段階における過失を明快に認めた。


続いて,Yが賠償すべき損害の額については,Xが基本設計フェーズ2等の作業のために合計約1億2400万円支出したことを認定しつつも,

Xは,(略)Yからの正式な発注行為がないにもかかわらず各作業に着手しているところ,Xにおいても,信義則上,上記各作業を行う前にYに対し正式発注を求めたり,作業開始後一定期間が経過しても正式発注がなされないのであれば上記各作業を中止するなど,損害発生,拡大を防ぐための対応を取ることが期待されていたというべきである。


として,Xの過失割合を3割認め,賠償額は,前述の1億2400万円の70%とし,さらに既払いの約2230万円を控除して,6910万円とした。

若干のコメント

本件も,これまで当ブログで多数取り上げたシステム開発契約の成否に関する事案です。


本件の特徴は,すでに先行するフェーズでは個別契約がいくつか履行されており,途中のフェーズの契約の成否が問題となったところにあります。本件でも明らかなように,裁判所は書面がない場合には,契約の成立を認めるのに慎重です。ただ,本件の場合は,先行するフェーズがあって,途中で中止することは考えにくいという事情もあったため,ベンダ側の信頼を保護したといえるでしょう。


もっとも,結果的にベンダ側に認められた請求額は30%減額されていますし(請求額も原価ベース),裁判所からも損害拡大を防止する義務があったとされていることから,書面がないまま作業を進めることはお勧めできません。


意思決定,契約書の取り交わしに時間がかかる場合には,内示書などの簡易的な書面を用意し,30日以内に正式合意がなされなかった場合にはプロジェクトを中止するとともに,工数ベースで清算するなどの取り決めをしておくべきでしょう。

*1:「適合性分析」などといわれる。パッケージソフトを使用する際に,業務とソフトウェア機能とのギャップを分析し,追加でのカスタマイズ開発範囲などを定める目的で行われる。