IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

先行開発の見切り発車と契約の成否 東京地判令2.6.15(平31ワ6095)

ベンダによる開発行為は,共同開発の委託という合意に基づくものであって相当報酬額の請求ができるか(主位的請求),仮に合意がなくとも合意が不成立になったことについて相手方に契約締結上の過失があるか(予備的請求)が問題となった事例。

事案の概要

上記の争点からすると事実経過がすべてなので,やや詳細に紹介する。

  • XとYは,平成24年9月24日に業務委託基本契約(本件基本契約)を締結した。本件基本契約には,注文書の交付と承諾や個別契約書の取り交わしによって個別契約が成立する旨の定めがあった。
  • Yは,車載ディスプレイ用のミドルウェアをリリースするなどしており,Xは,車載通信技術のサーバ側製品の開発についてYにアプローチしていた。
  • しかしYからは開発の委託の話がなかなか具体化しなかったため,Xは,サーバ側製品を自社製品として開発し,Yと連携して販売する話などを持ち掛けた。
  • Yは,Xに委託する予定だった開発案件が顧客の都合により流れたことを告げたが,Xは自社製品として先行開発する旨を表明した。
  • その後,Xは開発作業に着手し,平成25年11月には,技術展のYのブースに間借りしてデモを展示した。
  • Xは,Yに対し,先行開発を互いに自己の費用で進めつつ,顧客に販売した収益を分配するという覚書案を提示したが,Yからは押印を拒否された。
  • そこで,Xは,先行開発を協力して行うこと,回収方法は別途協議することという表現に直し(本件書面),Yの担当者D(開発本部長)の個人印でよいので押印を求めた。
  • Dは,飽くまでも個人の意思として,平成25年12月11日付けで本件書面の署名に応じた。
  • Xは,Dによる署名を受けて,開発費用の社内処理に向けた稟議を行った。さらに,Xは平成26年3月の決算期を控え,先行開発に要した工数を算出して売上に計上するよう社内処理を進めた。
  • Xは,上記売上に対応する請求書(本件請求書。税込2415万円)を平成26年3月15日付けで作成し,Yに対し,決算対策のための書面であるので支払いを求めるものではないが,預かってほしいとDに依頼した。
  • Dは,Xとの付き合いもあるので,やむを得ず預かったが,請求に応じることはできない旨を述べていた。
  • その後も,YはXから本件請求書に基づく請求を受けることはなかった。
  • XとYとの間には,本件先行開発以外にも取引があり,それらについては注文書のやり取りに基づく個別契約が成立し,納品,検収等の手続が行われていた。

これらの経緯のもとで,Xは,Yに対し,主位的にはXが行った開発に要した費用はXYで折半するという合意(本件合意)に基づき,2415万円の半額を請求し,予備的に商法512条に基づく相当額報酬の請求(予備的請求1)と,共同開発に関する合意が調ったものとXを誤診させるなどの信義則上の注意義務違反(契約締結上の過失)があったとして不法行為に基づく損害賠償(予備的請求2)を行った。

ここで取り上げる争点

(1)主位的請求(本件合意の成否)

(2)予備的請求1(商法512条に基づく相当額報酬請求の可否)

(3)予備的請求2(契約締結上の過失の有無)

予備的請求2に関し,Xは,Yが怠った過失は,(A)Xとの契約が正式に締結されるように努力すべき義務の違反,(B)Xに誤解を生じさせるような行為を避けるとともに,Xの誤解を解消し,その損害が拡大しないようにすべき信義則上の注意義務の違反を掲げていた。

裁判所の判断

(1)主位的請求(本件合意の成否)

上述の経緯に照らして裁判所は合意の存在を否定した(一部を抜粋する)。

そもそも平成25年8月7日にXとYとの間で何らかの合意が調ったことを認めるに足りる適確な証拠はなく,前記認定事実によれば,同月23日の時点でも,YがXに開発委託を予定していた案件が流れたことを受けて,Xにおいては,Yの製品として○○規格に基づくサーバー側製品の先行開発を独自に進める方針を表明していたというのであり,将来の営業活動における連携の話であればともかく,Yとの間で共同開発を行うという話がXからされ,Yがこれを了承したことを認めるに足りる適確な証拠はない。取り分け,上記先行開発によりXに生じた費用の一部をYが負担するという話は,前記認定のとおり,Xの内部文書である本件稟議書に現れるのみであり,その話がYないしDに対し明示又は黙示に伝えられたことを認めるに足りる証拠もない。

加えて,裁判所は,本件基本契約で定められた個別契約締結の手続も行われていないことを否定の理由として挙げている。

(2)予備的請求1(商法512条に基づく相当報酬請求の可否)

同様に裁判所は下記のように述べて,Yの委託に基づいて行った作業ではないとして,予備的請求1も否定した。

上記開発案件がXの製品として独自に先行開発を進めるものであったと認められることは前記認定のとおりであり,本件請求書に係る請求の中にXがYの委託を受けて行った開発に関するものが含まれていることを認めるに足りる証拠はない。

(3)予備的請求2(契約締結上の過失)

Xが主張していた2つの義務違反について,いずれも否定した。

上記①の義務(注:Xとの契約が締結されるよう努力する義務)については,そもそも単に努力義務をいうのみであって,具体的な注意義務の内容を掲げていないことからすれば,主張自体失当というよりほかないが,この点を措くとしても,前示のとおり,Xは,Yに対し,Xの製品として独自に先行開発を進める方針を表明していたのであり,その費用の一部をYが負担するというような話がされていたことを認めるに足りる適確な証拠はないから,XとYとの間においてXの主張する契約の成立に向けた具体的な交渉が進められていたと認めることはできず,このような状況において,当該契約の成立に対するXの期待が法的保護に値するものであったと評価することはできない。

上記②の義務(注:Xに誤解を生じさせない,あるいは誤解を解消する義務)についても,YがXに対し○○製品の開発により利益が得られるかのような説明をしたことを認めるに足りる証拠はなく,ほかに,Yからの委託があったとか,上記開発に係る費用の全部又は一部をYが負担する旨の何らかの合意が成立したとの誤解をXに生じさせるようなYの積極的な言動があったと認めることもできない。そして,前示のとおり,X自身がXの製品として先行開発を進める方針を表明していた以上,仮に何らかの契機によりXが上記のような誤解を抱くに至ったとしても,Yが進んでその誤解を察知した上,これを正すためにXに忠告をすべき法的義務を負っていたと解することはできない。

本件書面にDの署名があることや,本件請求書をYが受け取ったことなどはいずれも義務違反の根拠とはされなかった。

以上より,Xの請求はすべて棄却された。

若干のコメント

これまで開発契約の成立をめぐる紛争は,当ブログでもたびたび取り上げてきました(下記リンクの「契約の成否」「契約締結上の過失」のカテゴリをご覧ください。)。

【争点別】システム開発をめぐる紛争インデックス - IT・システム判例メモ

契約の成否は,契約に基づく請求に関する基本的な法律要件でありながら,どのような事実があれば認められるかというのは悩ましい場面は多々ありますが,開発契約のように個別性の強い取引の場合には,裁判所は,相当程度債権債務の内容が相互に確認された段階に至らないと安易に契約の成立を認めない傾向があります。

また,本件でもXが主張していたように,予備的に商法512条に基づく請求や,契約締結上の過失が主張されることもこの種の紛争における定跡ですが,こちらでベンダ側が救われるケースはそれほど多くありません(上記のリンク先の事例でも認められたケースの方が少ないです。)。

本件では,冒頭にあげたような事実関係からすると,取引成立の成熟度は低く,およそ請求が認められる余地がないように思えることや,平成26年のやり取りが,なぜか平成31年になって訴訟提起にいたったことなど(商事消滅時効を気にしたのでしょうか。),疑問点はありますが,契約の成否をめぐる一つの事例として参考になるものと考えます。

なお,本件のように個別契約の成立条件について定めた基本契約が存在する場合において,その手続が行われていない場合でも,契約の成立を部分的に認めた事例はあります(下記)。

基本設計締結後の作業中止に対する損害賠償の成否 東京地判平19.1.31(平15ワ8853) - IT・システム判例メモ