IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

退任取締役が負うべき秘密の範囲 東京地判平24.2.21(平21ワ38953号)

退任時に差し入れた誓約書の「秘密」の範囲等が問題となった事例。

事案の概要

医療用画像解析ソフトウェアの開発業Xは,画像解析システム(本システム)を開発し,医療機関に販売していた。本システムには,画像上,影となるべきところが明るく描画されるという現象が生じていた(本件情報)。


Yは,Xのソフトウェア開発部門の責任者・取締役を務めていたが,平成17年2月末で辞任した。Yが退職する際にXに差し入れた誓約書には次のような記載があった。

第1条 私は,在籍中に従事した業務において知り得た貴社(関連会社・取引先企業を含む)が秘密として管理している以下に示される技術上・営業上の情報(以下「営業秘密」という)について,退職後においても,これを他に開示・漏洩したり,権利を主張したり,自ら使用しないことを誓約します。
1号 製品開発,製造及び販売における企画,技術資料,製造原価,価格決定等の情報
2号 製品開発等の技術上の情報,知的財産権に関する情報,権利
 (以下略)

「画像処理方法および装置並びにプログラム」に関する特許出願(特願2007-105197,出願人Z,発明者Yほか1名,出願日平成19年4月12日)には,「本来陰となるはずの部分に光が当たっているかのような不自然な画像となるという問題がある。」という記載があった。


Xは,本件情報が開示され,公開されたことが,本件情報の開示・漏えいであり,Yの誓約書に定める秘密保持義務違反,あるいは退職後の取締役の信義則上の秘密保持義務違反に当たるとして,4600万円の賠償(逸失利益)を求めた。

ここで取り上げる争点

本件情報の「誓約書における『秘密』」該当性

裁判所の判断

退職取締役が負うべき義務や,誓約書における「秘密」の解釈について次のように述べた。

株式会社の取締役は,当該株式会社からその保有する不正競争防止法2条6項所定の営業秘密を示された場合において,信義則上,取締役を退任した後も,不正の競業その他の不正の利益を得る目的で,又は当該株式会社に損害を加える目的で,当該営業秘密を使用し,又は開示しないという秘密保持義務を負うものと解される。そして,この秘密保持義務にいう「秘密」とは,同項の規定に照らし,公然と知られていないこと,すなわち,不特定の者が公然と知り得る状態にないことを要し,本件誓約書にいう「秘密」も,本件誓約書の規定に照らし,これと同様に解するのが相当である。

つまり,定義の文言は異なるものの,誓約書に書かれている「営業秘密」とは不競法2条6項の営業秘密と同義だとした。


そして,秘密管理性について次のように述べた。

X製品においては,画面上,マウスで「編集」ボタンと属性設定タブ上の「光線変更」ボタンを順次クリックし,現在の光源の方向から照らされた球体が表示されているダイアログウインドウを開いた上で,上記球体をクリックしたままマウスをドラッグし,初期状態である正面以外の光源の方向でマウスボタンを放すと,光源の方向が変更され,程度の差はあれ,画像上,光源の反対方向で陰となるべき部分が明るく描出される現象が現れることが認められる。このため,本件情報は,マウスで3回のクリック操作と1回のドラッグ操作のみで容易に知り得るものであり,不特定の者が公然と知り得る状態にないとはいえないから,Xの取締役であったYが信義則上保持すべき「秘密」や本件誓約書上の「秘密」に当たる余地はない。

(略)

Xが本件情報を秘密として管理していたことを認めるに足りる証拠はないから,本件情報は,Xの取締役であったYが信義則上保持すべき不正競争防止法2条6項所定の「営業秘密」や本件誓約書1条所定の「秘密として管理している」情報に当たる余地もない。

したがって,本件情報は,Xの取締役であったYが信義則上保持すべき営業秘密や本件誓約書上の営業秘密に該当しないというべきである。

さらにYにおいて本件情報の開示・漏えいもないとダメ押しされた。

若干のコメント

不競法2条1項7号は,次の行為を不正競争と定めています。

営業秘密を保有する事業者(以下「保有者」という。)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為

これは,不正に営業秘密を取得するのではなく,開示を受けた段階では適法だったものについて不正・図利加害目的で使用・開示する行為を規制しています。主な対象は,本件のような取締役,従業員です。裁判所は,退職後の取締役について,

株式会社の取締役は,当該株式会社からその保有する不正競争防止法2条6項所定の営業秘密を示された場合において,信義則上,取締役を退任した後も,不正の競業その他の不正の利益を得る目的で,又は当該株式会社に損害を加える目的で,当該営業秘密を使用し,又は開示しないという秘密保持義務を負うものと解される。

と述べており,「退職した後も不正競争防止法に定める不正競争はしてはいけませんよ」と言っているだけに過ぎません。もちろん,法律上は,退職後は義務を免除しているということもないので,これでは法律上当然のことを繰り返しただけに過ぎません。


また,別個に差し入れた誓約書における「秘密」は,いわゆる営業秘密の3要件のうち「非公知性」を満たすものに限るとしています。では,他の要件はどうかというと,「秘密として管理している」の文言が入っているので,ここについても同様だと考えられます。


本件の誓約書は,平均的なレベルの書き方がなされていると思うのですが,結局こうしてみると,不競法の限度でしか効力がないとすると,提出させてもさせなくても効果は同じではないかという疑問が生じてくるところです。結局「誓約書を書かせているから安心」となるのではなく,秘匿性の高い情報は,不競法の定める基準を満たす管理をしなければならないということになりそうです。