IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

取締役退任後の引継義務履行としてのパスワード開示請求 大阪高判平31.3.27(平30ネ1767)

在職中に業務に関するインスタグラムのアカウントを担当していた取締役に対し,パスワードの開示等を求めた事案。

事案の概要

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Yは,X社の代表取締役として,個人のgmailアドレスを用いてインスタグラムのアカウント(本件アカウント)を作成し,Xが販売していた商品の写真等を投稿していた。Yは他にも,元ラグビー日本代表選手であったことから,本件アカウントには仲間のラグビー選手の写真なども投稿されていた。なお,本件アカウント名の一部には,Xのブランド名が含まれていた。また,アカウントのホーム画面にはXのウェブサイトのリンクが設置されていた。

Yは平成29年5月1日にXの代表取締役を退任し,取締役も辞任した。その後,Xは,本件アカウントにログインできないことから,商品の写真を投稿することができず,利用者が減少して営業上の損害を被ったとして,Yに対し,取締役辞任に伴う引継義務(民法645条,会社法330条)の履行として,本件アカウントのパスワードの開示と,その不履行による損害賠償として300万円の支払いを求めた。

原審(大阪地判平30.7.20)では,本件アカウントの利用者たる地位がXに帰属していたものではないとして,Xの請求をすべて棄却した。

ここで取り上げる争点

争点(1)Yによるパスワード開示義務の存否
争点(2)Yの不履行による損害の額

裁判所の判断

争点(1)Yによるパスワード開示義務の存否

まず,本件アカウントの利用者の地位がYに帰属するという判断は原審と変わりなかった。

インスタグラム社に対する関係において,本件アカウントは,その利用者たる地位は,これを開設し,そのメールアドレスを提供したYに帰属するものといわざるを得ない。

他方で,裁判所は次のような事情を挙げて,本件アカウントについて,Yは,Xの業務(広報や販売促進の手段)の一環として開設し,管理運営してきたとして,委任契約の終了にあたってYが負う引継義務には,本件アカウントの移管が含まれるとした。

(ア) 本件アカウントのユーザー名は,X出願登録と全く同一の文字列により構成されており,本件アカウントのユーザー名が小文字でしか登録できないことを考慮すると,本件アカウントは,外形的にXの業務との関連を示すものとなっている。

(イ) 本件アカウントのユーザー名は,YがXの取締役であった際,そのフランチャイジーの管理者であったAらに対し,フランチャイジー店舗のSNSのアカウントのユーザーネームを,出願登録商標と同一文字列を含むもの,すなわち本件アカウントのユーザー名を含むものとなるよう指示していたから,フランチャイジー店舗のアカウント管理同様,本件アカウント管理もXの業務に含まれることを意識していたことを示唆するものというべきである。

(ウ) 本件アカウントの閲覧により最初に現れる画面に表示されるX公式ウェブサイトのトップページ(ホームページ)へのハイパーリンクが設定されており,このことも,本件アカウントがXの業務それ自体と関連することを示すものである。

(ほかにも,Yがもう一つ別のアカウントを有していたこと,当該アカウントでは「私事に関する写真が中心となって投稿」されていると認定されている。)

以上のように述べて,パスワード開示請求を認めた。

本件アカウントの利用者たる地位は,YがXに対しその管理を移転すべき義務を負うというべきであり,インスタグラム社に対する関係においても,YがXに対し,その地位の移転義務を負うのであって,その移転義務の履行として,本件アカウントのパスワード開示を求める請求は理由がある。

争点(2)Yの不履行による損害の額

裁判所は,Yがアカウントの引継ぎを行わなかったことによる損害として,民訴法248条を適用し,50万円と認定した。

ア 損害金額の算定については,本件アカウントを通じて受け得るのは,飽くまでもインスタグラム社に個人が投稿し,これを共有閲覧し得るというサービスであり,業として専門の広告を行うものではないし,取り分け,平成30年8月までの期間について主張される利益は,本件アカウントの広告媒体としての機能を失わせたり,積極的な毀損行為と評価し得る変更がされたことに基づくものではなく,更新できないという消極的なものにとどまっているのであり,実際にも,数字上フォロワー数は1割程度しか減少していない(略)。そうすると,これらの不利益は,社会通念上売上に何らかの影響を及ぼしていることは明らかであるが,これがいかなる金額となるかを算定することは困難である。
(略)

イ 翻って,上記(1)イのとおり,本件アカウントを更新できない不利益及び非公開とされた不利益は,いずれも財産的損害として観念できるところであり,損害の性質上その額を立証することが極めて困難といえるから,民事訴訟法248条に基づき,更新などの利用ができなかった期間は平成29年5月から平成30年8月の1年3か月であり,その後「非公開」設定とされ,他のインスタグラム利用者もこれを共有閲覧し得なくなったのは,当審の口頭弁論終結時(平成31年1月)までの5か月に及ぶこと,その間のフォロワー数の減少の程度をはじめとする諸事情を考慮した上,損害額を50万円と認定する。

若干のコメント

本件は,SNSのアカウントが誰のものか,という素朴な論点から,たとえ個人アカウントであっても広告目的で使われていた場合において退任・退職後にどのように扱うべきかという論点について興味深い判断がなされました。

登録に用いられたメールアドレスが個人アドレスであったことなどから,インスタグラムとの契約当事者は元取締役個人であったと認定しつつも,その投稿内容から,アカウント管理業務がXの取締役としての職務に含まれていたとして,退任時の引継業務としてパスワード開示義務があるとしました。

具体的には主文には,

被控訴人は,控訴人に対し,訴外インスタグラムエルエルシーから付与されたアカウント(別紙記載のユーザー名及び閲覧用URLが初期登録されたもの)のパスワードを開示せよ。

と書かれています。Xは,請求の根拠として,会社と取締役の関係が委任関係(会社法330条)であることを前提に,受任者による報告義務(民法645条)を挙げています。

第六百四十五条 受任者は、委任者の請求があるときは、いつでも委任事務の処理の状況を報告し、委任が終了した後は、遅滞なくその経過及び結果を報告しなければならない。

仮に,Yが取締役ではなく従業員であった場合,雇用契約上の義務として民法645条と同様の規定はないのですが, Yが従業員であったとしても,就業規則等の引継義務あるいは信義則上の義務として認められていた可能性はあると思われます。

この報告義務に関する規定は,幅広い適用場面があると思います。例えば,システムの保守を委託していたベンダとの関係が悪くなって,契約が終了したものの,管理していたサーバのrootのパスワードがわからなくなった,といったようなトラブルの際,保守契約(準委任契約)の終了に伴う報告義務として開示請求(あるいは移管作業の履行請求)をしたことがあります*1。しかし,実際に私が担当したケースでは訴訟にまで至っていませんし,実際に裁判上の請求としてこの種の請求が認められたのは珍しいのではないかと思います。ただし,難点は,本件のようなSNSアカウントやサーバのパスワードを請求する場合,訴訟手続を待ってられないというところにあります。

*1:契約書等に,契約終了時の義務として,資料の返還あたりまでは定めてあっても,アカウント情報の開示・消去まで定めていないことが多い。