IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

基本契約のみの締結で具体的契約が不成立とされた事例 東京地判平20.7.10(平19ワ30499)

基本契約は締結されていたものの,具体的な業務委託契約が締結されていないとされた事例。

事案の概要

X,YいずれもIT関連企業である。
Xは,Yより,平成19年5月から7月にかけて,SE2名によるサービス(いわゆるSESなどと呼ばれるもの)を合計約394万円で受託し,履行したが,Yはこれらの報酬を支払わなかった。


他方でYは,Zの情報システム開発業務について大手ベンダを介して下請け業者として受注していたが,実態としてYはそのままXに再委託(孫請け)しており,Xはその商流には加わっていたものの,見積や注文作業の管理といった程度の関与しかしていなかった。YはXに対し,Yから受託した業務委託金のうち平成19年2月19日から23日までの約439万円について支払われていないとして,これを自働債権として,Xの請求全額について相殺する旨の意思表示をした。

ここで取り上げる争点

YからXに対するZの情報システム開発業務に関する契約の成否

裁判所の判断

Yは,Xとの間で基本契約が締結されていて,実際にXの作業員が作業している以上,平成19年2月19日から23日の間の業務委託料を請求できると主張していた。この点について裁判所は,契約書の文言解釈により否定した。

しかしながら,本件基本契約は,あくまでも包括的な契約であって,XとYとの間の大枠を定めたものにすぎず,Xが発行する「注文書」によってYに委託する業務の具体的な内容が定まり,YがXに対して「注文請書」を発行することで,具体的な業務委託契約が締結されるものとされ,XはYに対し「注文書」の定める対価を業務委託料として支払うこととされているのであるから,個別の「注文書」や「注文請書」がない限り,本件基本契約のみによって,具体的な業務委託料が発生するものではないというべきである。

そして,Yから報酬が支払われた期間については注文書がきちんと発行されているという事実を指摘し,上記期間についての業務委託料は発生しないとした。


Yは,基本契約は形骸化しており,注文書や注文請書がなくても合意が成立すると主張していたが,上記のように運用の実態をみて,「形骸化したような状況は認められない」とした。


2月19日から23日の作業の実態があったことについては,次のように判断している。

結局,Yは,上記平成19年2月19日から同月23日(2月第3週分)の受注の見通しがないことをIから聞いていながら,Zの現場で作業する者らの意見に押されて,撤収しないまま,本件開発業務を継続したものであって,発注がされない業務を行ったことによる負担はYが負うべきことは当然であって,これをXに転嫁することは許されない。

結局,相殺の主張は失当だとして,Xの請求が全額認容された。

若干のコメント

基本契約を締結しただけでは,当事者間に何らの具体的債権債務が生じないということ(契約書の内容にも依るが)を明らかにした事例です。今回のような争点以外にも契約書が「形骸化していた」という主張がなされることはしばしばありますが,契約書と異なる運用が繰り返されるなどの事情を立証しない限り,書面化されたものを「形骸化された」ということを認めてもらうのは難しいでしょう。


相殺の主張を認めなかった理由が「現場で作業する者らの意見に押されて,撤収しないまま,本件開発業務を継続したもの」とされていて,現場感覚としてはよくありがちながらも,それが報酬請求につながらなかったのはYに酷だったようにも思えます。とはいえ,Yは,この後,エンドユーザであるZから直接委託を受けて(中抜きして)仕事をしていたことも認定されていて,最終的にはエンドユーザの信頼も得ていたようにも見受けられます。