IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

データ移行失敗の責任 東京地判平22.11.18(平20ワ15062)

既存システムからのデータ移行ができなかったことが債務不履行に該当するか否かが争われた事例。

事案の概要

Xの運営する調剤薬局では,1日あたり200人から300人程度の患者に対して調剤を行っており,合計5万人以上の患者データが既存システムに保存されていた。しかし,既存システムの動作に不具合が生じるようになったことから,新システムの導入を検討し,Yのシステムを導入することとした。


Xと,ソフトウェア開発業Yとは,平成18年4月14日,以下の内容の売買契約(本件契約)を締結した。

  • 目的物:調剤管理システム及び薬歴管理システム(以下総称して「本件システム」)
  • 売買代金:2000万円(税別。着手金1000万円と,検収月に残額1000万円を支払う。)
  • 納期:平成19年3月11日


Xは,着手金+消費税1050万円を支払ったが,Yは,既存システムに保管されていた患者データの移行を試みたが,来局情報や過去の薬歴などがうまく移行することができなかった。そのため,既存システムを存置させざるを得ず,業務の効率化も図れなくなったことから,Yの債務不履行を理由に本件契約を解除し,既払い金1050万円の返還を求めた(Yによる反訴も提起されていたが割愛。)。

ここで取り上げる争点

既存システムからのデータ移行は,Yの債務の内容となっていたか

裁判所の判断

既存システムのデータが本件システムに移行できなかったという事実については争いがなかったが,データの移行がYの債務となっていたかどうかが争われた。少々長いが,適宜編集を加えながら引用する。

本件契約において,<既存システム>に保存された患者データを本件システムに移行することが前提とされていたか否かについては当事者間に争いがあるが,Y代表者は,この点について,本件契約締結前に,X代表者に対し,上記のようなデータ移行は困難であるので,基本的にはXにおいて手入力をする必要がある旨説明し,X代表者からその旨の了解を得ていた旨供述する。

しかし,<上記のとおり,既存システムには>既に5万人を超える患者データが保存されており,Xは,これらのデータを利用して事務の効率化を図っていたのであるから,患者データを<既存システム>から本件システムに移行することができないことになると,薬局での調剤業務に支障を来すことになるのは明白であり,X代表者においても,当然にそのことは認識していたものと考えられる。そして,(略)X代表者において,5万人を超える患者データにつき手入力をしなければならなくなる可能性が高いことを認識しながら,あえて本件システムの導入を決断したとは到底考え難い

(略)Y代表者は,本件契約の納期が延期されたのは上記患者データを本件システムに移行することができなかったためではなく,Xが自己都合で本件システムの受領を拒否したからであるなどと供述するが,Xにおいて,上記(1)アのような事情で本件システムの導入を決断したのに,特段の事情もなく,二度にわたって受領を拒絶したとは考え難く,この点に関する供述も信用することはできない。

(略)以上によれば,本件契約では,<既存システム>に保存されていた患者データを全て本件システムに移行することが前提とされており,そのことが契約の重要な要素とされていたものと認めるのが相当である。

以上より,既存データを本件システムに移行させるという書面による合意があったものではないが,データ移行は「契約の重要な要素」とされていたとし,それが履行されなかったことについては,債務不履行に当たるとされた。


なお,Yは,Xとの間に,和解契約が成立していた旨の主張をしていたが,その証拠として提出されたX代表者のメールが「了解しました。よろしくお願いします。」という簡素な内容なものにすぎず,何を了解したのかも判然としないとして,和解契約の成立も否定された。

若干のコメント

システム開発・導入において,データ移行は,トラブルの原因になりやすい作業です。特に,中小規模のシステムでは,ベンダの作業項目として明記されないこともあり,ユーザは「当然やってもらえると思っていた」という期待を抱きがちです。データ移行がベンダの作業項目として明記されていた場合でも,データレイアウトの提供,その意味の説明,データの抽出,クレンジング(不適格データの除去)などはユーザの協力(というか主体的な作業)が不可欠であり,役割分担が曖昧になりがちで,データ移行の不奏功の責任の所在が争点となります。


本件では,確かにXの有する既存データには大量の患者データがあり,その移行なくして新業務は実施できなかったとはいえますが,そのことから直ちにデータ移行がYの債務となるかというわけではなく,データ移行の必要性,作業容易性,作業の実態などの事情を総合して判断されたと考えられます。


データ移行は,計画立案,移行プログラムの設計・開発,トライアル,本番移行まで,一つのサブプロジェクトを構成するものであり,作業負荷や重要性は無視できるものではなく,トラブルが多いという実態を踏まえて,契約締結段階において役割分担を明確にしておくべきでしょう。


本件以外に,データ移行が問題となった事例として,ユーザ側の作業に問題があったとする東京地判平24.5.30データ移行が完成してないとしてシステムの完成を否定した東京地判平24.3.14データ移行にかかるPM義務が問題となった東京高判平26.1.15があります。