IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

アプリ本格導入に関する契約の成否 東京地判令2.2.27(平29ワ18724)

先行導入が行われ,本格導入に関するアプリケーション提供の契約の成否が問題となった事例(調印済みの契約書なし。担当者は本格導入に関する発言あり。)。

事案の概要

Xは,平成26年5月ころ,M社からエンジンの提供を受けて,本件アプリのプロトタイプを開発し,Yに対して営業活動を行った。本件アプリは,端末で撮影した顔写真に,各種のカラーコンタクトレンズを装着した状態に加工することで,装着のイメージを可能とするシミュレーション機能を有していた。本件アプリの提供の態様は,Yの1店舗ごとに1端末ずつインストールすることが想定されていた。


Yは,本件アプリを導入することを決定し,Xに本件アプリの開発を委託することとした。その後,Yは,Xに対し,各種の名目で,150万円ほど支払った。さらに,XとYとの間で,平成27年5月に約200万円にて本件アプリ開発を委託する旨の契約(本件業務委託等契約)を締結し,代金を支払った。


同年8月には,Yの店舗100店に先行導入が行われ,同年10月には,XY間で本件アプリの運用に関する基本契約書(これに基づく契約を「本件契約」)を作成したが,調印には至っていない。


結局,同年12月には,Yは,本件アプリを使用しない旨を通知し,Yは,M社との間でエンジン提供の契約を締結し,同社のアプリの提供を受けていた。


Xは,Yが信義則に反し,XY間の本件アプリに関する契約を不当に破棄したとして,債務不履行に基づく損害賠償として約2300万円(開発費用相当額,エンジン利用相当額,18ヶ月分のアプリ管理費用相当額から構成される)の支払いを求めた。

ここで取り上げる争点

XY間で本件契約が成立したか

裁判所の判断

裁判所は,本件契約の成立を否定した。その判断に至る特徴部分について引用する。

Yの担当者Dが,将来的には全ての店舗に導入したいという熱意を持ち,それをXの担当者Cに「Yが100台入れるということは,基本的にこの後全部入れるっていうのと同じですよ。」と語っていたことについて。

仮にDが上記のとおり発言したとしても,そもそも,X代表者も認めるとおり,Yにおいて本件アプリに関する契約締結の意思決定権を有するのはY事業部長であり,DはYとしての意思決定権を有しておらず,Dの一存によってXとYとの間での本件アプリ導入に関する契約を成立させ得るものでないことは明らかである。また,一般的に,会社の従業員が自身の担当する商品の開発等の現場において,その所属する会社の意思と完全に一致するかとは別として,個人的な高い目標を掲げて行動するということは何ら稀有なことではないように思われ,そのような個人的な目標と会社としての意思とが時に異なることも十分に考えられるところであるし,会社の従業員として営業等を担当していたというCにおいて,営業担当者個人の意思と会社の意思とを区別し得なかったなどとは考え難い。そうすると,例え,Cが,Dから,100台導入することは全店舗へ導入することと同じだなどと申し向けられ,その旨の期待を抱いたとしても,それをもってCがYとの間で本件アプリを全店舗へ導入する旨の契約が成立したとの認識を有するに至ったというのは余りに不合理かつ不自然である

先行導入の範囲を超えて「100台目以降の利用料」についてやり取りされていたことについて。

Yは,本件アプリの販促効果について検証するため,1次テストから2次テストまでを段階的に行い,その後,更に先行導入を経て,最終的に本件アプリを何店舗に導入するかということを検討していた旨主張しているところ,かかる態度は,初めてカラーコンタクトレンズのシミュレーションアプリを導入する会社の態度としてごく自然かつ合理的であることや,本件業務委託等契約についての契約書にも先行導入が「試用」である旨並びにその結果を受けて今後の本件アプリの本格使用及び更なる開発について協議することが明記されていることに照らせば,先行導入が,飽くまでも本件アプリの販促効果を検証するための正に「試用」であったものと認めることができる。
(中略)X及びYが,100台の導入と220店舗又は全部の店舗への導入とに関する合意が全く同一のもととして区別されることなく認識されていたものと認めることはできない。

金額な条件がやり取りされていたことについて。

「100台目以降のエンジン利用料についてですが,」「エンジンが無ければシミュレーターそのものが成立しないという考えに基づくもので,台数が増える=露出媒体が増えるという認識で,その分,金額をあげさせていただきたい」(略)などと,101台目以降の導入に関する料金体系に関する双方の見解をやり取しているのであるから,XとYとの間で,同月に至っても,101台目以降を導入した場合の金額的な条件に関する合意が調っていなかったことは明らかである

アプリの権利帰属についてのやり取りが行われていたことについて。

平成27年7月24日に行われたX及びYの担当者らによる協議において,価格交渉のほか,本件アプリの権利構造に関する交渉等も行われ,XとYとが,本件基本契約書に本件アプリの権利帰属に関する条項を入れ,XとY双方に帰属する範囲を明示するための詳細な本件別紙の作成作業も進めていたことからすれば(略),少なくとも,Yにとって,本件アプリに関する著作権の帰属がどのような形となるかということが,価格面での条件に比肩する大きな関心事であったものと推認できる。
そうすると,Yとしては,Xとの間で本件契約を締結するに当たっては,価格面の条件のみならず,権利帰属に関する条件も重視すべき要素として同時に合意するために,Xとの交渉を継続していたものと考えられるし,交渉相手であるXとしてもそのようなYの意図は十分に認識していたものと考えるのが自然である。そうすると,仮に平成27年6月26日時点で本件アプリの内容と導入価格が決定していたとしても,そのことのみをもってして本件契約が成立したと評価し得るものではなく,このような観点からも,同日時点で本件契約が成立していたと理解することは契約当事者の意思に沿うものとはいえない。

さらに契約書の調印に至っていない点について。

一般的に,契約当事者間において契約関係が黙示的に成立することは否定し得ないが,XとYが本件基本契約書の書式を作成して,価格交渉や権利関係に関する契約書別紙の内容に関する協議を行っていたのは,本件基本契約書を調印することにより明示的に本件アプリの継続的な使用に関する契約を締結することを目的としたものであると考えるほかない。そうであれば,XとYの双方において,本件基本契約書の調印に至る以前の段階で本件契約を成立させる意思を有していたとは考え難い

この点,Xは,(略)Yとの取引では,常に後付けで契約書の作成が行われていたものであり,本件契約も本件基本契約書を調印する以前に成立したと理解することは何ら不合理ではない旨主張する。しかしながら,本件アプリの開発や100台の先行導入については,本件アプリの開発行為や100台の導入の事実行為が現に行われたものである以上,その前提として契約書作成前の段階であっても上記事実行為を行うことに関する最低限の契約が成立していたとみるほかないが,これに対して,本件で問題となる101台目以降の導入或いは220台の導入という事実行為は何ら行われていないのであるから,本件アプリの開発や100台の先行導入とは全く状況が異なるのであって,Xの主張は当を得たものとはいい難い。

このように述べて,本件契約の成立を否定し,その他の損害賠償の範囲等については判断するまでもなく,Xの請求はすべて棄却された。

若干のコメント

契約の成立というごく基本的な問題が争点となった紛争は多数あります。本件では,契約書が調印に至っていないこと,アプリの権利帰属が合意されていなかったこと,担当者の発言が会社の意思を示すものではないことなどを理由に契約の成立を否定しました。なお,契約の成立に関しては,改正民法522条で,

(契約の成立と方式)
第五百二十二条
 契約は、契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。
2 契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。

とされているように,要式は求められていません。そこで,契約の成立を主張する当事者は,多くの間接事実を積み上げることで,申込に対する承諾を立証しようとしますが,契約書の文言の調整が行われているような場合には,以下の判示部分に表れているように,調印に至っていないという事実は契約の成立を主張する当事者にとっては徹底的に不利です。

契約書の調印に至る以前の段階で本件契約を成立させる意思を有していたとは考え難い。


契約が成立していない場合でも,信義則に反して一方的に契約交渉を破棄したという場合には,損害賠償責任が生じることがあります(契約締結上の過失論)。本判決では,そのような主張について特に触れていないため,Xがそのような主張をしなかったのではないかと思われますし,認定された事実関係のもとでは,Yがそれによって責任を負うということもなかっただろうと思われます。