著名な野村證券・野村HDと,日本IBMとの間のシステム開発紛争。
本件の特徴としては,大規模開発における履行不能の成否,多段階契約の意義,責任限定条項の解釈など,この種の紛争における典型論点について詳細に述べられており,実務上の参考になると思われたため,いつものエントリよりも詳細に紹介する。
事案の概要
(判決文は,約14万字,A4で100頁以上に及ぶため,ごく簡単に紹介する。)
野村HDとその子会社である野村證券(まとめてXという。)が,ラップ口座システムの刷新を検討するにあたって,日本IBM(Y)は,WealthManager Software (WM)のカスタマイズを提案した。WMは当時日本国内での導入実績はなかった。XはYに対し,開発(本件開発業務)を委託し,平成22年11月15日から本件開発業務が開始された,当時は平成25年1月の稼働が計画されていた。しかし,Xは,平成24年11月2日に中止を通告し,平成25年1月29日に,履行不能を理由として解除する旨の意思表示をした。
本訴事件は,Xが,本件開発業務を適切に遂行せずにスケジュールの遅延を繰り返した上,劣悪な成果物を納入し,中核となる要員を適切な引継ぎもなく頻繁に交代させるなど適切な開発態勢の確立も怠り,Xが提示した問題点に関する挽回策を提示することもなく本件開発業務を頓挫させ,本件各個別契約を履行不能に至らしめたが,これは債務不履行あるいは不法行為に該当すると主張して,合計約36億円の損害賠償を求める事案である。
反訴事件は,YからXに対し,未払報酬の請求あるいは本件開発業務を取り止めたことにより民法536条2項に基づく報酬請求をした事案である。
本件開発業務の進行は,概ね,次のようであった(なお,以下は「争点」まで読み飛ばしていただいて構わない。)。
- 【本件局面1】導入前検証フェーズの事前準備(本件個別契約1),導入前検証フェーズ(本件個別契約2)。平成22年12月29日,Yは,WMの導入は可能である旨を報告した。このとき,概算開発費用の総額は,17.8億円と見積もられていた。
- 【本件局面2】要件定義(本件個別契約3)。
- 【本件局面3】概要設計立上げフェーズ(本件個別契約4)。平成23年2月から3月。
- 【本件局面4】概要設計フェーズ(本件個別契約5)。そのほか,本件個別契約6及び7あり。
- 【本件局面5】概要設計フェーズが終了するにあたって,Yが提案した概要設計最適化フェーズ(本件個別契約8)。これは,F&G分析の結果,WMのカスタマイズ量が増大したことから,その削減のため,業務要件を再度レビューする目的で行われた。
- 【本件局面6】平成23年8月。基本設計準備フェーズ(本件個別契約9)。この時点で,概要開発費用は総額26.9億円まで増えていた。
- 【本件局面7】平成23年9月。設計・開発フェーズ(本件個別契約10~13)。
- 【本件局面8】平成23年11月29日。ステコミにて,Yが計画変更を申し入れた。一部の機能の出荷タイミングを後ろにずらすこととなった。
- 【本件局面9】平成24年2月16日,Yが計画変更を提案した。さらに一部の機能の出荷が延期されることとなった。
- 【本件局面10】平成24年4月3日。WMのベンダTが出荷したプログラムをYがテストしたところ,修正を要するとしたことから,再度Tにて修正を行って再出荷するなどのスケジュール変更が行われた。
- 【本件局面11】平成24年4月17日,さらなる延期が申し入れられた。
- 【本件局面12】平成24年5月9日,ステコミにて,Yが計画変更を申し入れた。Xは,ここでこれ以上の延期は許容できないと述べた。
- 【本件局面13】平成24年8月6日,総合テストへの参加が決定された(別システムであるSTARとの統合が必要であった。)。
- 【本件局面14】平成24年8月24日,Yが本件システムに障害が発生していることから,平成25年1月4日の稼働開始は困難であると報告し,総合テストが中止された。ここで,Xは,コンティンジェンシープランを発動させ,旧システムをSTARと接続させるよう修正するために,旧システムのベンダに委託することを決定した。
- 【本件局面15】STARと連携しての稼働開始が断念された後の局面であり,Xは,平成24年11月2日,Yに対し,プロジェクトの中止を通告(本件通告)した。
ここで取り上げる争点
(1)履行不能の成否
Xは履行不能を理由に解除したことに対し,Yは履行不能を争っていた。
(1-1)本件個別契約13-15の履行不能
(1-2)本件個別契約13-15を除く各個別契約の履行不能
(2)Yの帰責性
履行不能が,Yの責めに帰すべからざる事由によるものだとすれば,民法536条2項により,Yの報酬請求権が失われないことになる。
(3)損害の額
裁判所の判断
争点(1)について。
争点(1)-1 本件個別契約13-15の履行不能
裁判所は,以下のように述べて,Xがコンティンジェンシープランの発動を決定した平成24年8月27日時点において本件個別契約14に基づくYの債務は履行不能に陥っていたと認定した(判決文の引用はカッコ内等を適宜省略している。かなり長いので要注意。)。
(略)本件各個別契約のうち,平成23年3月におけるWMの導入決定より後に締結された本件個別契約5~17は,いずれもリテールITプロジェクトにおいて更新されるSTARの開発と併せて,そのサブシステムの一つとして本件システムを開発し(同1(4)),平成25年1月4日にSTARと連携して同時に稼働を開始させる目的で締結されてきたものと認められる。
しかし,前記認定事実によれば,これらの契約によって進められた本件開発業務は,要件定義に関する作業が遅延して完了しないまま平成23年9月に設計・開発フェーズが開始され,同フェーズにおいてプログラムを分割出荷とするとともにスケジュールの調整が行われたが,度重なる出荷遅延が発生し,品質向上のためにSTARとの同時稼働開始を断念して本件開発業務を一時中止することが検討されるような状況も経て,平成24年8月に設計・開発フェーズと並行してテストフェーズが開始されたが,同フェーズにおいて前工程までのテストが十分でなかったと分析される障害が多発し,同年8月24日の本件リスク報告では,ベンダであるY自身が,STARとの同時稼働開始にスケジュール及び品質のリスクがある旨を申し出る状況に陥ったものである。
Yが報告した上記スケジュール及び品質のリスクとは,要するに,本件システムが平成25年1月4日のSTARの稼働開始までには完成せず,仮に完成させても稼働開始後に不具合を生じるというリスクにほかならず,このようなリスクが現実化したときには,Xの顧客に対する本件各サービスに係る業務に支障が生じることは避けられないと考えられる。そして,顧客に対し,日々円滑に本件各サービスに係る業務を提供すべき立場にあるXにとって,社内のコンピュータ・システムの更新に伴い,顧客との関係で上記のような業務支障を生じさせるリスクは,到底,許容し得るものとは思われない。しかも,本件リスク報告は,STARの稼働開始まで4か月強しか残されていない時期に,遅延し障害が多発していた当時の本件開発業務の状況を踏まえ,ベンダであるY自身が行ったものであるから,そのリスクは,客観的にみて,現実的で差し迫ったものであったというべきである。
前記認定事実のとおり,Xは,平成24年8月24日の本件リスク報告を受け,総合テストを中止してコンティンジェンシープランを発動することとし,同月27日には本件発動通知をし,STARの稼働開始に向けて現行システムとの接続が開発されるに至ったが,ここで発動されたコンティンジェンシープランとは,不測の事態が発生したときに被害や損失を最小限にとどめる目的であらかじめ定められたものであり,以上のような許容し得ない現実的で差し迫った業務支障リスクに直面した当時の状況の下で,ユーザであるXが,リスクマネジメント策としてコンティンジェンシープランを発動するということは,社会通念に照らして客観的にみて,ごく通常の,あるいは当然の因果の流れであったと認められる。むしろ,当時の状況の下で,本件開発業務がそのまま継続されるということは,通常考え難いほどに不自然・不合理なことというべきである。
そして,上記中止された総合テストとは,履行未了につき当事者間に争いがない本件個別契約14におけるYの債務の目的であり,具体的には,リテールITプロジェクトの総合テストへの参加を通じて行われるものであるところ,以上の事情の下では,本件発動通知の後に,現行システムでなく,本件システムがリテールITプロジェクトの総合テストに再び参加することは,社会通念上,客観的にみてあり得ない。
そうすると,本件個別契約14におけるYの債務は,本件発動通知がされた平成24年8月27日の時点において,履行不能を来したものと認められる。
また,本件個別契約13及び15についても,平成24年11月2日にXがYに対して本件開発業務の中止を通告したことを以って,履行不能を来したとした。
この点に関し,Yの主張については,裁判所は次のとおり退けた。
Yが各個別契約に基づいて完成義務を負わないという主張に対し,
確かに,コンピュータ・システム開発においては,不可避的に発生する不測の事態を想定し,これに対応しつつ,試行錯誤を経ながら進行するのが通常であるため,ユーザとベンダ双方のリスクマネジメントの機会を確保する観点から,工程ごとに段階的に個別契約を締結する手法が採られていることが認められる。実際に,本件開発業務においても,カスタマイズ量の著しい増大や要件定義作業の遅延,ドロップ2の分割出荷といった開発状況に応じ,当初予定されていなかった概要設計最適化フェーズのための本件個別契約8や,基本設計準備フェーズのための本件個別契約9,ドロップ2のための本件個別契約15が締結されているのであり,本件各個別契約がフェーズごとに段階的に締結されてきたのは,様々な変更を織り込みつつ進行する開発状況に応じて,リスクマネジメントの観点から,段階ごとに次の工程の在り方を検討し,当該次の工程に必要・適切な債権・債務を契約ごとに個別具体的に定める趣旨に基づくものと解される。そして,STARと連携した稼働開始までには,本件各個別契約における債務のほかに,移行に関わる作業など,更に契約上の債務として個別具体化されるべき種々の作業が必要になると推認することができるから,Yが,本件各個別契約に基づき,直接,STARと連携して稼働する本件システムを完成させるべき契約上の債務を負っていたとまでは解されない。また,本件開発業務について,本件個別契約5~17を包含し,本件システムの完成やSTARと連携した稼働開始を直接の法的義務として約するような包括的契約が締結されていた様子も見当たらない。もちろん,平成25年1月4日のSTARと連携した本件システムの稼働開始は,本件個別契約5~17の共通の目的であるから,Yの本件個別契約5~17における個別具体的な債務は,上記契約目的の達成のために履行されるものではあるが,以上によれば,Yが,STARと連携して稼働する本件システムを完成させるべき債務を,本件各個別契約上の債務として負っていたと認めることは困難である。
と,多段階契約方式を採用することの合理性を認め,各個別契約に基づく完成義務は否定したが,だからといって個別契約の履行不能が否定されるべきものではないとした。
争点(1-2)本件個別契約13-15を除く各個別契約の履行不能
Xは,本件システムの完成が不能となった以上,本件各個別契約はすべて遡って履行不能になると主張していた。
しかし,Yが,本件各個別契約に基づき,直接,STARと連携して稼働する本件システムを完成させるべき契約上の債務を負っていたとまでは解されないことは前記説示のとおりである。確かに,本件各個別契約のうち,本件個別契約5~17は,平成25年1月4日の本件システムとSTARとの同時稼働開始を共通の契約目的としているが(前記(1)),契約目的の達成不能と契約上の個別具体的な債務の履行不能とは分けて検討する必要がある(民法542条,543条参照)。そして,本件個別契約5~17が,目的を共通にしながらもフェーズごとに段階的に締結されてきた趣旨からすれば,その共通の契約目的は,各契約が順次締結され,その個別具体的な債務の履行の終了を順次積み重ねていくことにより,段階的に達成されていくことが,当事者間で予定されていたと解される。それにもかかわらず,各契約に定められた個別具体的な債務の履行により各フェーズの工程が終了し,対価の支払が完了しても,なお最終的な契約目的が達成されるまで,債務が履行未了のものとして残存すると解することは,上記のような契約を締結した当事者の合理的意思に反するものというべきである。そうすると,本件各個別契約の債務の本旨に従った給付に本件システムの完成が含まれるとのXの主張は,上記共通の契約目的を有する本件個別契約5~17についても採用できない。
まして,本件個別契約1~4は,いずれもWMの導入決定前に,本件個別契約1~3については,WMを導入した本件システムの開発が可能かどうかの確認及び検証を目的として,本件個別契約4については,Xの予算上の都合から,実質的な要件定義作業を行わず,インターフェース等の検討をすることを目的として,それぞれ締結されたものである。すなわち,本件個別契約1~4は,契約目的にさえ本件システムの完成を含まないのであり,これらの契約における債務の本旨に従った給付が本件システムの完成を含まないことは明らかである。
以上によれば,本件各個別契約の債務の本旨に従った給付が本件システムの完成を含むことを理由として,本件システムの完成不能により,各個別契約が遡って全て履行不能となるとのXの主張は採用できない。
また,Xは,各個別契約において本旨履行がなかったこと,具体的には,上流工程においてプロジェクト・マネジメント義務違反があったことも主張していた。この中で,つまみ食いになることを承知の上で,注目すべき判示部分を抜粋する。
開発状況に応じて必要・適切な債務を契約ごとに個別具体的に定める本件各個別契約の趣旨からすると,本件各個別契約は,前の工程における不十分な点や不備の是正を,次の工程において行う趣旨をも含んでいたと認められる。
要件定義は,ウォーターフォール型開発方式におけるユーザの要求をベンダが開発できるような形に取りまとめる上流工程の作業であって,その取りまとめの主体は,ユーザであり,ベンダとの間の契約は,その取りまとめをベンダが開発できるような形で行うことを支援する趣旨のものと解される。そして,以上の事情の下では,Xらは,遅くとも総合テストが開始されるまでには,ユーザとしてベンダが開発できるような形での要件の取りまとめを終了したと認めるのが相当である。
ウォーターフォール型のコンピュータ・システム開発では,要件定義確定後の設計・開発・テスト段階において,確定した要件定義に不備や欠陥が発見されて修正されることも,あらかじめ予定されていると解されるから,このような修正作業もやはり要件の確定が未了であることを意味しないものというべきである。
と述べ,要件定義段階において,Yの債務の履行に不十分なところがあるとしても,それぞれの段階的な契約目的は達成して終了したとして,履行不能を否定した。
さらには,Xは,最判平8.11.12民集50.10.2673を援用して,履行不能となった個別契約があることから,他の個別契約についても履行不能を理由に解除できると主張していた。
しかし,上記最高裁判決は,同一当事者間で締結された2個以上の契約のうち1の契約の債務不履行を理由に他の契約を解除し得る場合について判断したものであって,1の契約の債務不履行を理由に他の契約が債務不履行を来すことを判断したものとは解されない。
また,上記最高裁判決の下で,いずれかの債務不履行を理由としてその余の契約を解除し得るのは,社会通念上,いずれかが履行されるだけでは契約を締結した目的が全体として達成されないと認められる場合であると解される。これを本件個別契約5~17について検討すると,これらの各契約の共通の契約目的は,各契約の締結と履行の終了の積み重ねを通じて,順次段階的に達成されていくことが予定されたものであって(前記ア),上記最高裁判決の事案のように,数個の契約の同時並行的な履行によって達成されることが予定されたものではない。しかも,上記最高裁判決の事案では,共通の契約目的を達成する上で必要な契約があらかじめ全で締結され,数個の契約上の債務の履行により契約目的が達成されることが法的に保障されていたのに対し,本件開発業務については,本件個別契約5~17を包含し,本件システムの完成やSTARと連携した稼働開始を直接の法的義務として約するような包括的契約もなく,中止に備えたコンティンジェンシープランも想定されるなど,契約ごとの段階的な契約目的を超えて,最終的な共通の契約目的が達成されることが法的に保障されていたものでもない。
以上によれば,上記最高裁判決は,本件とは事案を異にするというべきであるから,本件に引用するのは相当でない。
争点(2)Yの帰責性
裁判所は,開発業務の遅延と障害多発の状況が,Yの責めに帰すべからざる事由によるといえるか否かを検討した。
本件個別契約13~15は,Yの履行補助者であるMWのベンダTによるカスタマイズ量の把握不足を理由とするものであり,ベンダとしての通常の注意を欠いたものと言わざるを得ないとした。その他の事情も含めて,Yの責めに帰すべからざる理由によるとは認められないとした。
Yは,適切なプロジェクト・マネジメント策を講じていたと主張していたことに対しては,
確かに,前記認定事実によれば,Yは,スケジュール8を遵守できなかった本件局面9以降の度重なる出荷遅延に対しても,平成24年4月15日からTの作業拠点であるトロントに人員を派遣するなど,本件開発業務の開発状況を踏まえて様々なマネジメント策を講じたことが認められ,これらの中に,開発状況の改善に寄与するものが存在したことは否定できない。例えば,Yは,本件開発業務の難航を受け,上流工程で要件把握に携わったA11やA12を本件開発業務に復帰させ,パッケージ・ソフトウェア導入の経験に長けたA17の補充・代替としてカスタム開発の経験に長けたA18を本件開発業務に参加させているところ,前記認定のその後の開発状況からみて,これらの開発態勢の補強が開発状況の改善に寄与したところは大きかったことがうかがわれる。
しかし,Yは,それ以前に,A11やA12を本件開発業務から離脱させ,カスタマイズ量の著しい増大の中で,パッケージ・ソフトウェア導入の経験に長けたA17を本件開発業務に従事させ続けていたわけであり,これを改善したからといって,Yの責めに帰すべからざる事由があるということはできない。また,前記認定事実によれば,YやTの頻繁な人員の変更は,X側から批判を受けることが多く,中には,X側の評価が低かった人員を交代させた例もあったが,A22のように,Xとの約束に反した本件開発業務からの離脱を止められず,Yが管理の甘さを謝罪した例もあったのであり,Yが講じた開発態勢が全て適切であったわけではない。さらにいえば,Yがいかにマネジメント策を講じたとしても,履行補助者であるTに要件及びカスタマイズ量の把握不足があり,これを原因としてプログラムの出荷が遅延した可能性が極めて高いものである以上,Yの責めに帰すべからざる事由があるとはいえない。
争点(3)損害
(a)履行不能となった個別契約の既払代金
本件個別契約13~15自体の代金として,約12.5億円支払われており,これが損害と認められた。Yが,既履行部分については損害を構成しないと主張していたが,すでにXが別システムを稼働させていることから,経済的利益が残存していたとは認められないとした。
(b)WMのライセンス契約
本件個別契約6は,WMのライセンス契約であるが,これに基づく代金約6.6億円についても争われた。
本件個別契約6が,既履行であり,本件発動通知や本件通告により遡って履行不能を来すものでないことは前記説示のとおりであるが,本件個別契約13~15が履行不能となったことにより,もはや本件システムが開発されることはなく,本件全証拠によっても,本件個別契約13~15が履行不能を来した後,本件個別契約6により得たWMのライセンスについて,Xに何らかの経済的利益が残存していたとは認められない。したがって,その代金の支払は,本件個別契約13~15が履行不能となったことにより,無為に帰したものというべきであり,これにより債権者であるXには現実の損害が生じたと認めることができるから,本件個別契約6が履行不能を来していないからといって,上記支払額を損害から除外すべき理由は見当たらない。
として,ライセンス代金は,本件個別契約13-15の履行不能による損害を構成するとした。
(c)責任制限条項
Xは,その他の既払金等も損害を構成すると主張していた。これについて,裁判所は,
本件各個別契約のうち履行不能となった契約は,本件個別契約13~15のみである。そして,本件個別契約13及び15には「Yの損害賠償責任は(中略)損害発生の直接原因となった当該別紙所定の作業に対する受領済みの代金相当額を限度額とする。」との責任制限条項が,本件個別契約14には「お客様がYの責に帰すべき事由に基づいて救済を求めるすべての場合において,Yの損害賠償責任は(中略)損害発生の直接原因となった当該『サービス』の料金相当額(中略)を限度とする。」との責任制限条項が,それぞれ設けられている。
本件各責任制限条項は,経済産業省が提唱するモデル契約においても類似の規定が設けられているものであり,その趣旨は,コンピュータ・システム開発に関連して生じる損害額が多額に上るおそれがあることに鑑み,段階的に締結された契約のいずれかが原因となってユーザに損害が生じた場合,ベンダが賠償すべき損害を当該損害発生の直接の原因となった個別契約の対価を基準として合意により限定し,損害賠償という観点からも契約の個別化を図るものと解される。また,その性質は,賠償上限額についての損害賠償の予定と解される。
そうすると,本件個別契約13~15の下でYが賠償すべき損害は,本件責任制限条項13~15により,本件個別契約13及び15の支払済みの代金額に,本件個別契約14の代金相当額を加算した合計16億2078万円に限られるというべきである。そして,前記ア及びイ認定の損害は,合計19億1373万円であり,既に上記損害賠償予定限度額を上回るから,本訴債務不履行請求のうち,同金額を超える損害について賠償を求める部分は,その余について判断するまでもなく理由がない(なお,過失相殺をすべきでないことは,後記(3)説示のとおりである。)。
Xは,責任制限条項は,[1]信義則違反により無効,[2]重過失があるから適用すべきでない,[3]第三者との間の契約によって生じた損害は除外すべきである等と主張していた。これについて,まず[1]の点については,
Xは,信義則違反の理由として,本件各責任制限条項が一方的にXに不利な内容であるのに,何らの交渉も行われず,交渉を行うこともできないまま定められたと主張する。
しかし,まず,本件各責任制限条項と類似の規定を含む経済産業省のモデル契約は,ユーザ・ベンダ双方のリスクを考慮したものとされている。また,本件各個別契約は,消費者契約ではなく,それぞれの業界において我が国を代表するともいえるような大企業の間で締結されたものであり,Xについて,一方的に不利益な契約条項を是正する交渉力がYに劣後していたと認めるに足りる証拠はない。
(略)
以上の事情の下では,Xが,契約書上明記された本件責任制限条項13~15が本件に適用されないと信頼して調印したとは認められない。かえって,以上の事情を総合すれば,本件各責任制限条項を含む本件個別契約13~15は,対等な当事者が自由な意思で合意したものというべきであり,信義則違反により無効であるとのXの主張は採用できない。
と述べて退け,続いて[2]の点については,
Xは,Yには,ベンダに通常求められる適切なプロジェクト・マネジメントを怠って本件開発業務を頓挫させた重過失があるとし,Yに重過失のある本件について本件各責任制限条項は適用されるべきではないと主張する。
しかし,ベンダに重過失がある場合に責任制限条項を適用しない旨の規定は,経済産業省のモデル契約には設けられているものの,本件個別契約13~15に係る各契約書には,その旨の明文規定はない。
もっとも,前記(1)ウで説示した本件各責任限定条項の趣旨に鑑みれば,Yに重過失があるときは,信義則に照らして本件各責任制限条項の適用が制限されると解する余地がないではない。
しかし,本件開発業務が,本件局面7及び8の時点において,大きなリスクを内在し,これを完遂することが相当困難なものとなっていたことは,本訴各不法行為請求について,後記第5で説示するとおりである。また,コンピュータ・システム開発において,ベンダが変化する開発状況に応じて講じるマネジメント策には様々な選択肢があると考えられ,その中で取るべきマネジメント策を一義的に定めることは困難であるから,その選択は,基本的にはベンダの裁量に委ねられると解さざるを得ない。そして,Xは,Yの重過失について,①WM及び証券業務についての知識不足,②引継ぎに不備のある頻繁な要員の交代,③杜撰な進捗管理,④不正確・不十分な設計書,及び,⑤杜撰な品質管理などを挙げるところ,確かに,Yが講じたマネジメント策の中には,その当否に疑義の残るものがないとはいえないが,本件全証拠によっても,Yが,通常のベンダとしての裁量を逸脱して社会通念上明らかに講じてはならないような不合理な対応策を取ったとか,ベンダとして社会通念上明らかに講じなければならない対応策を怠ったと認めることは困難である。そして,そのほかYの重過失を認めるに足りる証拠はない。
したがって,Yの重過失を理由として,本件各責任制限条項の適用を争うXの主張は採用できない。
[3]の点は,スルガ・日本IBMで裁判所が採用した論理が再び採用されるべくXが援用したものと思われる。しかし,裁判所はXの主張を退けた。
本件各責任制限条項には,第三者との間の契約に基づく支払について適用を除外する旨の規定は置かれておらず,経済産業省のモデル契約の条文や解説にも,これに類する記載はない。そして,X及びYのような大企業が,確認の上,書面で締結した損害賠償額の予定について,明文規定も当事者間の具体的な交渉もないのに,一部の損害が適用から除外されると解すべき合理的な法的根拠は見当たらない。
なお,この点についてXが引用する裁判例は,コンピュータ・システムの完成を目的として,当事者間の具体的な交渉を経て包括的契約が締結され,同契約において,将来の個別契約の対価を限度とする責任制限条項が約された事案について,当事者間の具体的な交渉に即した意思解釈をしたものであり,その解釈は,特段の交渉がされておらず,個別契約に責任制限条項の置かれた本件に,直ちに妥当するものではない。
そのほか,Yによる過失相殺の主張については否定し,債務不履行に基づく損害賠償請求は,履行不能が認められた本件個別契約13~15の合計額を上限とする約16.2億円の限度で認められた。
若干のコメント
本件判決は,14万字以上,10.5ポイント文字でページ数にしてA4・100頁以上に及ぶという超大部の判決です。判決の構成としては,「当事者の主張」はごくコンパクトにまとめるにとどめ,「認定事実」を相当詳細に認定しています。
両当事者の代理人は,スルガ銀行vs日本IBM事件と同じ組み合わせであり,この種の紛争においてトップレベルの力量をもった先生方ですが,それでも訴訟提起から判決まで5年半ほどを要しています。この種の複雑な事案で代理人が不慣れだと,争点整理に時間がかかることが多いので,他の代理人であれば,もっとかかったのではないでしょうか。
本件は,実務上,多数の示唆を与える判断が示されています。システム開発がトラブルに陥った際,ユーザからみれば,どのタイミングで解除すべきかは迷うところでしょう。特に履行不能を理由とする解除の場合,社会通念上の不能とはどういう状態なのか,判断が悩ましいところです。本件は,ユーザが,コンティンジェンシープランを発動させたことや,中止の通告を行ったことを以って履行不能としましたが,このようなユーザがトリガーを引いた行為を以って履行不能と判断したことについてはやや疑問もあります。これを認めてしまうと,ユーザが続けたくないと思ったら,解除なり,中止なりを宣言してしまえば履行不能状態を作出できてしまうからです。
しかし,問題はそれほど単純ではありません。履行不能だとしても,その原因がベンダにはないと判断されれば,民法536条2項の適用により,ベンダは報酬請求権を失いません。そうなると,結局,トラブルに陥った状況について,原因が誰にあるのかを冷静に分析しなければならず,解除の判断は容易ではありません。
また,本件は,多段階契約の意義について随所に判示部分に登場します。その際には,経産省のモデル契約も何度か引用されています。比較的経産省のモデル契約の考え方に倣う形で,契約を分けた以上は,個々の契約に沿って考えるべきであるというような立場に立っていると思われ,ベンダの考え方に親和的であるといえるでしょう。もちろん,ベンダの意図したように解釈されるためには,契約締結前の交渉経緯なども重要になると思われます。
そのほかにも,責任限定条項の解釈や,重過失の有無など,多数の興味深い論点が登場します。システム開発紛争は,どうしても個別の事象の違いが大きく,断片的な判示部分を取り上げて一般化することは危険なのですが,こうした判断が世に示されることは大変意義深いと感じます。
本件でも,この種の大規模システム開発紛争でありがちな「プロジェクト・マネジメント」が争われました。その詳細は,判決文中では,「PM整理表」という資料で参照されており,判例DBからは閲覧できませんが,判決文からは「状況」「原因」「対策」欄などがあるということが読み取れます。PMが争点となる事案では,問題の所在が散漫になりがちなので,機会を見つけて現物を見てみたいものです。