当初に提示されていた金額を大幅に超過する請求をしたことによってユーザが解除したことについて,ベンダから民法641条に基づく損害賠償請求できるか否かが争いとなった事例。
事案の概要
ベンダXは,味噌の製造販売会社Yとの間で平成25年4月23日に,ソフトウェア開発基本契約(本件基本契約。対象は新販売管理システム,新生産管理システム)を締結した。これらのシステム導入にあたっては,パッケージソフトの場合には負荷が高いため,Xはスクラッチ開発を提案した。また,XY間のやり取りにおいて,総開発金額は,合計5780万円(新販売管理システム3020万円,新生産管理システム2760万円)が提案されていた。
XとYは,本件基本契約に基づく個別契約として,新販売管理システムについて,要件定義・設計サービス契約,構築サービス契約,運用準備・移行サービス契約を締結し,それぞれ,平成25年9月から平成26年6月にかけてYによる検収を受けた。
続いて,本件基本契約に基づく個別契約として,新生産管理システムについて,要件定義・設計サービス契約,構築サービス契約,運用準備・移行サービス契約を締結した。新販売管理システムの個別契約では,順次締結されていたが,新生産管理システムの個別契約は3本とも一括して平成26年1月10日に締結された。そのうち,検収を受けたのは要件定義・設計サービス契約(契約金額605万円)のみであった。
Yは,平成27年9月4日,新生産管理システムにかかる構築サービス契約,運用準備・移行サービス契約の各個別契約を解除する旨の意思表示をした(本件解除)。解除の通知には,Yの工場統合を理由とする旨の記載があった。
Xは,Yのした本件解除はY側の事情による一方的な解除であるから,Yに対し,民法641条による損害賠償請求権に基づき,1173万0260円を請求した。なお,Yからは既払金の返還等の反訴は提起されていない。
ここで取り上げる争点
本件解除の解除原因
Xは,本件解除はYの一方的事情による解除であるから民法641条によってYは損害賠償義務があると主張していたのに対し,Yは,各契約の履行過程において,Xの業務遂行態度や能力に問題があり,このまま開発を進めてもYの満足を得られず,さらなる問題も発生することが想定されるから解除せざるを得ないものであると主張していた。
裁判所の判断
まず,契約締結前段階におけるXの提案や,いわゆる多段階契約方式を採用した趣旨について次のように述べた。
Xは,7回に及ぶYからのヒアリングを通じてYの現行システムの抱える課題を十分に把握した上で,これらの課題を全面的に解決するシステムとして,新販売管理システム,新生産管理システムの開発をYに提案したものであったから,これらのシステムは,Yの要求する仕様ないし機能をもともと網羅的に備えたものであって,後日,Yからの仕様変更や機能追加の要求があり得るとしても,その程度は比較的軽微なものにとどまり,大幅な追加発注がないこと,したがって,これに伴う大幅な開発費用の追加負担もほとんどないものとしてYに提案されたと考えられる。
一般にシステム開発に当たっては,要件定義を確定しない限り,その開発費用を具体的に確定し得ないとしても,上記1で認定した事実によれば,Xは,Yの予算的制約に配慮しなければYの発注は獲得できないとの前提に立ってYに対する積極的な営業活動を行っていたことがうかがわれ,実際上も,新販売管理システム,新生産管理システムの総請負代金額としての開発費用を(当初機能を削減することなく)当初提示額よりも1000万円以上も値引きした最終提示額(5780万円)をYに提示することで,ようやく受注することができたものと認められる。このような本件基本契約の締結に至る経緯に照らせば,XとYとの間においては,上記最終提示額は,単なる開発費用の目安にとどまるものではなく,その後に締結されることが予定された各個別契約の各開発費用を定めるに当たっても,その総開発費用の上限を画する機能を有するものであって,数十万円程度の開発費用の増額を否定するものではないにせよ,各個別契約の総開発費用が数百万円単位で増額されることを許容するものではなかったと考えられる。
(略)
本件基本契約において,Yは,先行する個別契約の履行状況を判断材料として後続の個別契約を締結するか否かを選択する機会が確保されており,Yにとっては,段階的な個別契約の締結という法形式の採用により,途中でシステム開発を断念した場合にも,開発に要する費用や時間をその時点での最小限度のものにとどめることができる機能を有するものであった一方,Xとしても,発注者であるYが必要としなくなった開発に費やす時間や労力を節約し得る機能を有するものであった。このような本件基本契約,販売個別契約1ないし販売個別契約3,生産個別契約1ないし生産個別契約3の法形式の果たす機能に鑑みると,Yの有する各個別契約の締結の自由は最大限に尊重されるべきものであって,これを便宜的な理由でYから奪い去ることは本来許されないか,少なくとも十分慎重な態度で臨むべきであったと考えられる。
と,7回のヒアリングを経たことを重視し,提案段階における金額が「大幅な開発費用の追加負担もほとんどないもの」「各個別契約の総開発費用が数百万円単位で増額されることを許容するものではなかった」であると述べた。そして,多段階契約について「Yの有する各個別契約の締結の自由は最大限に尊重されるべきもの」とされた。
しかし,以下に述べるような経緯をたどることによって,XはYの信頼関係を損なって解除に至ったとした。
Xは,本件基本契約に基づき,各個別契約を合計5780万円の範囲内で受注する一方,新販売管理システムについては,Yからの追加発注があったという理由で数十万円程度の追加契約をYに締結させるにとどまらず,数百万円単位の追加契約ないし覚書までYに次々と締結させていた。また,Xから納品され,Yの検収を終えたはずの新販売管理システムの成果物については,決して少なくないシステム障害が発見され,前回の定例会議で報告された不具合が次回の定例会議でも未対応のまま,別のシステム障害が新たに発見され,未対応の障害件数が累積していく状況にあった。さらに,このような状況下では当初の開発スケジュールを維持することも困難となり,本件基本契約の締結日から1年程度で,X自身においても,新販売システムの立ち上げ状況から判断して新生産管理システムの立ち上げ時期を見直す必要があることを余儀なくされていた。
と,完成した新販売管理システムにおいて,数百万円単位の追加契約を締結させたうえ,障害が絶えなかったということを厳しく指摘した。
他方,Xは,新販売システムがいまだ完成していないばかりか,そのシステム障害を全面的に解決する見込みも立っていない段階にあったにもかかわらず,Yに安易な開発見通しを伝えつつ,便宜的な理由により,Yをして,新生産管理システムについての個別契約である生産個別契約1ないし生産個別契約3を同時に締結させることにより,段階的な個別契約の締結による不利益,負担の可及的な低減というYの契約上の利益を奪う事態を招いていた。また,Xは,Yの顧客情報の流出,サーバのバックアップ,UPSの未設定等,自らの不手際により,Yに多大な迷惑をかけ,謝罪することすらあったのに,新生産管理システムについては,追加作業を理由に800万円もの追加請求を行い,Yからの強い拒否回答があり,Xも曖昧な契約内容であったことを自認しつつ,担当者レベルではこの追加請求問題を解決することができず,Yに対し,進行中の作業を一旦停止することまで申し入れるなど,Yにとって,このままXによるシステム開発作業を進めると,開発完了までの著しい遅延が発生するにとどまらず,開発費用の大幅な追加負担を求められることは容易に予想し得た。このような状況の下,平成27年1月時点でXとYとの間で取り交わされた合意書によって今後の処理方針について一応の合意を見たものの,この合意に基づきXから提出された新生産管理システムの残課題の対応はYから見て芳しいものではなく,協議期間中は留保,延期された生産個別契約2,生産個別契約3についてのXの適切な履行は依然として危ぶまれる状況にあった。そのため,Yが,同年2月時点で,Xに対し,新販売管理システムの残作業を実施する一方で,新生産管理システムの実施の可否を判断すべく,半年ないし1年の凍結を申し入れたことは,本件基本契約上,本来であれば,生産個別契約2,生産個別契約3の同時締結を行う必要のなかったYにとってやむを得ない措置であった。
新生産管理システムでも多額の追加請求をしたことや,追加合意後の対応も芳しいものではないとした。そして,裁判所は次のように述べて,本件解除に至る状況においては信頼関係が破壊されていたものであって,民法641条による解除ではないとした。
以上のような本件基本契約,これに基づく各個別契約の各締結に至るまでの間におけるXとYとの交渉状況,Xによる各個別契約の履行状況,Yにより本件解除がされるに至った経緯等に鑑みると,本件解除がされた平成27年9月当時,Xによる生産個別契約2,生産個別契約3の債務の本旨に従った履行はもはや期待し得ない状況にあり,XとYとの信頼関係は既に破壊されていたというべきであるから,Yによる本件解除は,かかる信頼関係の破壊を解除原因とするものとして有効なものであって,XのYに対する民法641条の損害賠償請求権を発生させるものではなかったというべきである。本件解除の意思表示がされた書面に記載された解除理由は,もともとXの求めにより記載されたものにすぎない上,Yとしては,自己都合による解約という穏便な取引終了の体裁を取ることにより,Xとの無用な紛争を回避しようとする趣旨に出たものにすぎなかったから,上記の判断を左右する事情であるとはいえない。
以上より,Xの請求には理由がないとして,請求はすべて棄却された。
若干のコメント
本件では,プロジェクトの進行とともにベンダから契約の追加が何度か行われたことが,両者の信頼関係を破壊する事情として重視されているように思われますが,この種の取引において追加の契約が締結されることはそれほど珍しいことではなく,その金額も2倍,3倍というレベルではないので,判決文に表れない細かい事情はわからないものの,ベンダが一方的に信頼関係を破壊したとする認定には違和感があります。
特に,提案段階で7回のヒアリングを経ていたとはいえ(それも無償でやるにはベンダにとって大きな負担です。),「大幅な開発費用の追加負担もほとんどないものとしてYに提案された」「各個別契約の総開発費用が数百万円単位で増額されることを許容するものではなかった」としたことについては,それがユーザの期待であったことは否定しないものの,やや偏った判断ではないかという疑問があります。
また,多段階契約の意義についても,ユーザにとっては,途中でやめた場合の費用を最小限にとどめられるというメリットを指摘しつつ,「発注者であるYが必要としなくなった開発に費やす時間や労力を節約し得る機能を有する」と挙げていますが,これはユーザのメリットについて述べたものであり,多段階契約についての一般的理解とは異なる印象を受けます。そのうえで,「Yの有する各個別契約の締結の自由は最大限に尊重されるべきものであって,これを便宜的な理由でYから奪い去ることは本来許されない」などとした点についても違和感があります。
本件では,新生産管理システムについては,多段階契約といいながらもベンダの要望によって複数の個別契約を一度に締結したという事情があるようですので,ベンダから一括契約の締結を申し出たといってもよいでしょう。そのような事情がありながら,ユーザが後続工程の契約を解除したことについて民法641条の主張することは許されない,といった価値判断があったのかもしれません。
裁判所は本件解除を「信頼関係の破壊を解除原因とするものとして有効」としていますが,具体的な債務不履行を認定したわけでもなく,(ユーザの主張に沿うものとはいえ)「信頼関係の破壊」としたことにも違和感があります。私の理解では信頼関係の破壊を理由とする解除は,賃貸借契約のような継続的契約の場合に認められるものであって,単発の取引において安易に認められるものではないはずです。
ベンダからみれば,新生産管理システムの未履行分についての報酬が支払われなかったというところにとどまるため,結論としては違和感がありませんが,提案段階の開発総額の意味や,多段階契約の趣旨,信頼関係破壊を理由とする解除などは,あまり一般化すべきでないと思います。