全株式取得による買収の直後に,大胆な著作権侵害の事実が発覚したことにより,表明保証違反・補償義務の有無が問題となった事例。
事案の概要
Yは,a株式会社(a社)の代表取締役を務めており,発行済株式のすべてを保有していた。XとYは,平成30年3月29日付けでYからa株式会社の全株式をXが3億2000万円で譲り受ける旨の株式譲渡契約(本件契約)を締結した。
本件契約には,いわゆる表明保証条項(5.1条)が定められており,その中には
a社が制作し販売する接骨院用レセプト発行システム「○○」及び鍼灸マッサージ管理システム「△△」について,a社が著作権を含む一切の権利を保有し,制限事項はない
という事項が含まれていた(別紙5.1)。また,表明保証に違反したことによってXが損害を被った場合にはYが補償する旨の条項(9.2条)もあった。また,いわゆるプロ・サンドバッギング条項*1もあった(10条)。
しかし,本件契約の実行日(同年4月6日)の直後に,〇〇や△△を販売するにあたっては,F通製のクライアント運用パッケージ(ランタイム)をPC1台につき1ライセンス必要であったにもかかわらず,a社は,ランタイムが記録されたCD-ROMを複製することで必要とされる台数分のライセンスを購入しないまま販売していることが発覚した(本件著作権侵害)。
Fは,本件著作権侵害による損害賠償額は約5.9億円と算定したが,Xとの交渉の結果,a社が2億円を支払うという和解が成立し,a社はYに対し,令和2年2月28日に前記和解金を支払った。
そこで,Xは,Yに対し,必要なライセンスを購入しなおす等の損害を被ったとして,前記表明保証違反を理由に補償金約3.6億円のうち,2億円の請求を求める訴訟を提起した。
ここで取り上げる争点
【本件表明保証条項違反による補償義務の有無】
Yは,本件契約による買収は,顧客網等の獲得を目的としたものであり,本件著作権侵害は,本件契約締結の判断にかかわりがなかったから表明保証条項の対象に当たらないことや,Xはデューディリジェンスをしていたのだから,本件著作権侵害につき故意又は重過失があるなどと主張していた。
裁判所の判断
裁判所は,本件契約締結に至る経緯の中で,本件著作権侵害に関し,次のような事実を認定した。
X及び(略)Bらは,平成29年7月16日から約1か月間,a社に対して法務,会計及び営業のデュー・ディリジェンスを実施した。
この際,X及びBらは,Yからa社の従業員に接触することは控えてほしいとの意向を示されたことから,a社の従業員に接触しなかった。
Yは,本件著作権侵害について,X(略)に知られないようにするため,Cを含めたa社の従業員らに対し,「この話は誰にもするな。」,「他社に漏れたら大変なことになる。」,「言ったらクビだ。」などと告げていた。
また,本件契約10条(プロ・サンドバッギング条項)は,一度,Yから削除を求められたが交渉の結果,維持されたことも認定された。
これを踏まえて,
本件著作権侵害はa社の商材によるFの著作権の侵害があったことを内容とするものであり,本件契約の代金が3億2000万円であるところ,本件著作権侵害についてa社がFに対して和解金2億円を支払ったことに照らせば,本件著作権侵害が本件契約を締結するか否かの決定に影響を及ぼし得る事項について重大な相違や誤りではなかったということはできず,上記のYの主張は前提を欠くものであって採用できない。
Yは,本件契約を締結する前である平成29年2月頃までには,Bに対し,本件著作権侵害を伝えていた旨を主張し,Y作成の陳述書には同旨の記載がある。
しかし,上記記載は,本件著作権侵害を知らなかった旨のBの証言等及びYがa社の従業員に対して本件著作権侵害について口止めをしていた旨のCの証言等と整合しないこと,a社の株式譲渡の代金については,Yは協議開始の当初から3億円以上を希望し,本件契約の代金も3億2000万円とされたものであるところ,本件著作権侵害について,a社と富士通との間の交渉において,本件会社のFに対する本件著作権侵害に係る損害賠償債務の額は(略)富士通によれば約5億9000万円と算定され,交渉の結果,a社がFに対して和解金2億円を支払うこととなったことからすると,仮にBが本件著作権侵害を伝えられていたとすれば,Xが代金の減額等の交渉をせずに本件契約を締結するとは考え難いところ,そのような交渉がされた形跡がないことに照らすと,上記記載を採用することは困難であって,上記のYの主張は採用できない。
などとして,表明保証違反による補償義務を認め,その額は,a社が支払った2億円は下らないとして,請求額全額を認容した。
若干のコメント
裁判所が認定した事実関係によれば,売主自らも認識していた著作権侵害の事実を隠ぺいしていたことになりますので,表明保証違反の責任を免れることは難しいように思われます。
本件契約では補償債務のキャップは設けられていなかったようですが,株式譲渡契約では,表明保証違反による補償債務の上限を設けるケースは少なくありません。多くの場合,取引金額の〇%を上限とするという定め方をしていますが,この「〇%」をどう定めるかはだいたい交渉の争点となります。
この点についてはM&A取引専門の先生方のご意見を伺いたいところですが,藤田友敬編著『M&A契約研究』有斐閣232頁によると,
欧米では,取引金額の25%以内の範囲で合意しているケースが多いようですが,米国の最近の実務では,74%の事例でcapが取引金額の10%以下だったという調査結果もあります。
というコメントがあります(MHM関口健一弁護士発言。太字は引用者)。仮に本件にこのようなキャップ条項がある場合,取引額3.2億円の10%とすると,補償は3200万円の範囲内でしか得られないので不公平な結果をもたらしかねません。しかし,本件のような著作権侵害を認識しつつ,従業員から買主に伝わることをも妨害していたというような事例の場合,このキャップ条項が適用されないという可能性はあるようにも思います。
*1:デューディリジェンスによって買主が把握し,または把握し得た事実があっても,売主の表明保証の有効性やその違反による補償に影響を及ぼさないという規定。