IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

開発契約の成立を否定した事例 東京地判平30.11.30(平29ワ3861

提案書、見積書の提出を経て、初回代金が支払われたが、システムの内容が明確になったとはいえないとして契約の成立を否定した事例。

事案の概要

X(人材派遣業)は、2015年10月、Y(システム開発業)に対し、業務の効率化のためのシステム構築のほか、情報技術基盤に関する相談をした。

Yは、Xに対し、シフト編成、請求書業務等に関するシステム開発に関する提案をし、見積書を提出した。同年11月には、システム開発の作業時間合計250時間、システム開発期間300日、報酬額は発注時90万円、以後、2019年まで毎月90万円とする内容の見積を提出した。

Xは、これを受けて、Yに対し、初回分97万2000円(税込)を支払った。

Yは、同年12月、Xの事務所においてネットワークやPCの状況を確認し、帳簿類のファイルを受領し、業務フローの聴取を行った。また、YはXに対しネットワーク概要の書面やサーバ調達を依頼するとともに「ITマネージメントサービス基本契約書」を送付したが、調印はされていない。

しかし、作業はその後進展せず、XはYに対し、システム開発等に関する契約は成立しておらず、仮に成立していたとしても錯誤により無効であるとして、支払済の97万2000円は不当利得にあたるとして返還を求めた(本訴)。これに対し、Yは、残代金が支払われていないとして、180万円(+税)の支払を求めた(反訴)。

ここで取り上げる争点

契約の成否

裁判所の判断

「事案の概要」で述べたような事実認定を踏まえて、裁判所は次のように述べて契約の成立を否定した。少々長いが引用する。

この点,契約が成立したといえるためには,当事者間において,外形的に意思表示が合致する必要があるところ,当然の前提として,当該意思表示の内容が特定されている必要がある
しかし,上記事実関係を踏まえても,平成27年12月8日時点でも,本件契約を基礎付ける意思表示の内容が特定されているということはできない
すなわち,同年10月23日時点では,Yからは,業務繁忙時に効率的に業務を行うためのシステムの構築や提供という提案がされたにすぎず,当該システムの具体的な内容は明確とはいい難い。この点,提案書(甲2)によれば,その内容として,X従業員がIDやパスワードを入力してログインした後,顧客別のシフト編成等を入力すると,入力したデータがサーバー内に構築されたデータベースにおいて連携され,IDやパスワードが入力された他のPCからもシフト編成表や請求書等が出力できるシステムである旨の記載はあるが,この段階で,Yが,Xの業務についてどのような書式を用い,どのようにデータを処理していたのか,業務のどの点について具体的に支障が生じていたのか等,Xの具体的な業務に即した事情を把握していたという事実は証拠上認められず,そのような,Yにおいてどのような仕様に基づいて上記システムを構築するのか全く不明な中で,結果的に上記のような処理が可能となるシステムを構築するとの提案をしたからといって,抽象的に,Xの要望に添うシステムの構築が可能であると回答したと評価できるにとどまり,意思表示の内容として具体的であるとは到底いえない。

また,同年11月19日時点でも,見積書や請求書には,「シフト編成を効率的・効果的に行うための入力ツール」,「請求書作成システム,求職管理簿作成システム,手数料管理簿作成システム」,「上記に付随するスタッフ・お客様データのメンテナンスツール」との記載があり,その例示が多少あるのみで,やはりYがXの具体的な業務を把握した上で何らかの提案をしているとは認められず,契約の内容が特定されているとはいえない

さらに,同年12月8日になっても,確かに,前記のように,Yにおいて,Xの業務に関する具体的な書式や帳簿等を受領し,業務フローを聴取するなどしたことは認められるが,本件システムの構築に当たり,同時点でのXの業務のうち,そのような書式等を踏まえ,どの点をどのような仕様に基づいて改良するのか,そのためにXにおいてもどのような点を準備する必要があるのか,具体的にYから何らかの提案がされたとはいい難い。かえって,システムのネットワークの概要についての書面及びサーバー注文依頼書を提出して,サーバーの調達を依頼したのは,前記のとおり,平成28年3月になってからというのであるから,それ以前に,YがXに対し,システムの具体的な仕様ないしその前提となるネットワーク環境等について具体的に提案したということはできず,そのような状況において,契約内容が具体的に特定されているということはできない。
これらの点に,平成28年3月時点でも,ITマネジメントサービス基本契約書(甲3)が調印されず,その後も,XからYに対し,本件契約の基本的な内容についての質問とこれに対する回答(甲5)がやり取りされているといったことを併せ考えると,本件システムの構築に当たり,平成27年12月8日時点においてXとYとの間で合意があったということはできない。

(略)

そうすると,遅くとも平成27年12月8日時点では本件契約が成立したとするYの主張は採用することができない。

これに加え、Yからの反論も次のように退けている。

これに対し,Yは,システム開発に関する契約については,システム内容の特定に関し,システム化しようとする範囲と概要が分かる程度の特定で足りる旨主張する。しかし,システム開発であれ,契約である以上,成立した場合には相手方に強制的な履行の請求や不履行の場合の損害賠償を求められる程度に具体化されている必要があるところ,仮にYの主張する時点で契約が成立したということになれば,Yにおいても,どの範囲まで業務を行えば契約の本旨に従った債務の履行といえるのか不明なままに業務を行わざるを得ないということになってしまい,不合理な結果となることは明らかであり,Yの主張を前提としても,本件契約が成立したということはできない。
また,Yは,Xとの間で契約書が作成されていないことについて,本件において契約書の作成は形式的なものにすぎないと主張するが,既に当事者間で実質的に合意がされており,後から形だけ書面化するというのであれば,Xにおいても直ちに契約書に署名ないし記名の上押印することに応じるはずであり,そのような事実が認められない本件においては,むしろ当事者間で契約内容が合意に至っていない方向に働く事実というべきであり,Yの主張は採用できない。

よって、契約が成立していない以上、Xが支払った代金は不当利得にあたるとして、同額の返還を認めた。

若干のコメント

本件のようにシステム開発取引において契約の成否が争われる事案は多数あるのですが(多くは、途中で反故にされたベンダが、作業相当報酬を求めるケース)、本件では、契約の成立をかなり慎重に認定し、ベンダにとっては酷な判断になりました。

私見では、10月の提案時点では確かにユーザ(X)のヒアリングが十分に行われていないものであるため、契約の成立を認めるのは躊躇しますが、11月に機能名を列挙して具体的金額・工数が書かれた見積書を提示し、それを受けたXが初回分の代金を支払った時点では、確かに具体的なシステムの仕様が定まっていないとしても契約の成立を認めてもよかったのではないかと考えます。

裁判所は、システムの内容が特定されていないとベンダも本旨履行かどうかわからないから困るではないかと述べています。これは、同様にシステム開発契約の成否について述べた名古屋地判平16.1.28における

業務用コンピューターソフトの作成やカスタマイズを目的とする請負契約は,業者とユーザ間の仕様確認等の交渉を経て,業者から仕様書及び見積書などが提示され,これをユーザが承認して発注することにより相互の債権債務の内容が確定したところで成立するに至るのが通常であると考えられる。

という判示と共通すると思われるものの、この基準だと、小規模システムで要件定義などを別契約として切り出すことをしない限り、仕様が固まるまでのベンダの作業はすべて無償になってしまうことになり、これまた不都合があるように思われます。

確かに仕様が固まっていない段階で契約の成立を認めてしまうと、仕事の完成や契約不適合の場面における判断基準がないということはあり得ますが、当然、契約の履行過程で仕様が固まっていくことが予定されているので、契約の成立段階における内容の特定の程度と、仕事の完成における内容の特定の程度は異なっていても問題はなく、むしろそれが当然ではないかと思われます。

もっとも、基本契約書が後付けで用意され、それが押印に至っていないという事情は大きく、契約書のやり取りなく作業を進めることのリスクが改めて知らされた事案であるといえます。